中国・歴史的建造物ランキングRANKING
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1位
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
毛利元就の五男・元秋を祖とする厚狭毛利家の屋敷である。現在は安政3年(1856)に建てられた入母屋造り本瓦葺きの長屋のみが残っており、国の重要文化財に指定されている。萩に現存する武家屋敷の中でも最大規模の広さを誇り、梁間は5m、桁行は51.5m。萩城の模型などもあり、見ごたえがある。
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2位
明々庵
不昧公の号で知られる松江藩第7代藩主・松平治郷(はるさと)は、江戸時代を代表する大名茶人。1779年(安永8)、その不昧公の指示によって藩家老の屋敷内に建てられた茶室。没後150年の記念事業により1996年(昭和41)、現在の場所に移築された。
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3位
代官所地役人 旧河島家
江戸時代初頭に銀山奉行の大久保石見守に召し抱えられて以降、代々銀山附役人を務めた河島家。この屋敷は1800年代初めに建てられたものと考えられており、一見平屋造りに見える主屋だが実際には土間と納戸の上に二階があり、接客用の座敷が庭に面している。銀山附役人の屋敷としての特徴がよく出ていることから、大田市の指定史跡にも選定されている屋敷である。
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4位
旧遷喬尋常小学校
真庭市鍋屋の出雲街道沿いにある歴史的建造物。明治40年(1907)に建てられた木造校舎で、明治後期の代表的な学校建築として国の重要文化財に指定されている。現在は文化施設「久世エスパスランド」の一施設として一般に開放されているほか、映画などのロケ地としても使用されている。また、「旧遷喬尋常小学校なつかしの学校給食」といったイベントも行われる。
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5位
旧澤原家住宅 三ツ蔵
旧澤原家住宅の「三ツ蔵」は、戦前の呉市のシンボルで、酒造業を営む澤原家が代々住んでいた。1756年(宝暦6)に建てられた主屋と1809年(文化6)に建てられた三ツ蔵は空襲を免れ、国の重要文化財となっている。また、明治維新の勤王僧・宇都宮黙霖が晩年に寄留し、1897年(明治30)に亡くなった地でもある。JR呉駅や大和ミュージアムから約2km、歩いて30分足らずで訪れることができる。
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6位
重要文化財旧下関英国領事館
1901年(明治34)に開設された旧下関英国領事館は、赤レンガ造りの建物で、領事の執務室や住居などに使用された。1906年(明治39)に新築移転し、1940年(昭和15)まで機能していた。設計者は英国工務局上海事務所技師長のウィリアム・コーワンと推定される。1987年(昭和62)に市の有形文化財、1999年(平成11)には国の重要文化財に指定された。現在は展示室や喫茶・パブ、ギャラリーとして利用されている。
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7位
特別史跡 旧閑谷学校
岡山藩主池田光政(いけだみつまさ)によって1670年(寛文10)に創建された国内最古の庶民の学校が、国の特別史跡「旧閑谷学校」だ。足利学校跡、咸宜園(かんぎえん)跡、旧弘道館とともに日本遺産「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」に認定されている。
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8位
神辺本陣
福山市神辺町は江戸時代に西国街道(近世山陽道)の宿駅として栄えた町。参勤交代の際に多くの大名が宿泊したのがこの「神辺本陣」だ。当時は交通の要所として三日市の尾道屋菅波家(西本陣)と七日市の本荘屋菅波家(東本陣)を有していたが、現在は西本陣が残るのみ。西本陣は重厚な佇まいは黒塗りの土塀に囲まれた荘厳な空間で、ほぼ当時と変わらぬ姿で現存している。250年前の歴史を今に伝えていることから、昭和44年(1969)に広島の重要文化財に指定された。
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9位
旧松阪家住宅
製塩や酒の醸造などの多角経営で栄えた豪商の屋敷であり、古い街並みが残る竹原市の重要伝統的建造物群保存地区にある。建物は江戸時代末期に建てられたもので、明治12年(1879)に全面改装。波打つような大屋根に菱格子の出窓など、独特の建築意匠が印象的である。室内は、数寄屋風の風雅な造りになっており、落ち着いた佇まいをみせている。
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10位
鞆の津の商家
福山市鞆町にある古い商家の建物で、市の重要文化財。もとは呉服店や船具店として使われていた建物であり、現在は典型的な鞆の商家として土日祝日に限り一般公開されている。江戸時代末期築の主屋は、店の間・中の間・奥の間が順に配された町屋の間取り。明治時代築の土蔵が主屋に食い込むような形で建てられているのが特徴的である。邸内には、当時の商売道具や民具などを展示。
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11位
箕浦家武家門
鳥取県庁の向かいに立つ重厚な長屋門。元々は東町のお堀端にあった鳥取藩士・箕浦家の表門として使用されていた。禄高約2千石にも及ぶ箕浦家は鳥取藩の中でも上級武士にあたる番頭の家柄。昭和に入って取り壊しの危機に瀕するが、民芸運動の指導者・柳宗悦がこの門に注目したことをきっかけに保存されることとなり、現在の位置に移築された。市内に現存する鳥取藩上士層の家門としては唯一のもので、武家長屋門の遺構として非常に貴重なものであることから鳥取市指定文化財に登録されている。
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12位
旧大社駅
明治45年(1912)の国鉄大社線の開通に伴い開業し、平成2年(平成2)に廃駅となった旧大社駅の駅舎。現存する建物は大正13年(1924)に改築された2代目であり、国の重要文化財に指定されている。威風堂々とした純日本風の木造建築で、黒瓦の屋根に漆喰の白壁が特徴的。駅舎内は、和風シャンデリアや出札室、事務室、貴賓室などが残る和洋折衷の空間になっている。
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13位
菅谷たたら山内
斐伊川(ひいかわ)上流域の奥出雲地方は、日本古来の「たたら製鉄」が行われてきたエリア。「菅谷たたら山内」には伝統的な製鉄施設である「高殿(たかどの)」が日本で唯一現存する。神々しさすら感じる高殿は一見の価値がある。
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14位
三百田氏住宅
古くからこの地方の庄屋を勤めていた三百田家の住宅跡。奥の間や納戸、広間を残した典型的な広間三間取に17世紀因幡地方の民家特色を色濃く残している。いわゆる「四八(しはち)」と称される民家は桁行八間、梁間四間からなる住宅構造。「三六(さぶろく)」が普通であった当時、非常に規模の大きい建築物であったことが伺える。元禄時代の建築方法と生活の知恵が分かることから県指定保護文化財に登録されている。
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15位
廉塾ならびに菅茶山旧宅
「廉塾」は江戸時代の儒学者・菅茶山によって天明元年(1781)に郷里・備後国(現在の神辺町)で開かれた私塾。公式には神辺学問所と呼ばれ、全国各地から常時20人もの塾生が訪れ、江戸時代後期の歴史家・頼山陽も塾頭の一人だったとされている。敷地内には現在も当時の講堂や寮舎、居宅や書庫などが残されており、近世の地方における教育施設として数少ない例であることから、国の特別史跡に指定された。
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16位
旧野崎家住宅
国指定重要文化財の旧野崎家住宅は、児島など瀬戸内海の塩田開発を行った塩田王・野崎家の大邸宅。敷地内を公開するほか、蔵の一部を展示室にして塩業や野崎家の歴史を紹介している。
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17位
入江豊三郎本店
鞆の浦の名産品「保命酒」は、江戸時代に福山藩の保護を受け、全国的に名が広がった薬酒である。1886年(明治19)創業の「入江豊三郎本店」は、保命酒の蔵元の一つで、植物性のみの材料を使い、みりんも製造している。2021年(令和3)11月に改装オープンした本店では、保命酒の試飲や土産の販売も行っている。また、約200年前の建物である仕込蔵でも保命酒とみりんの製造が行われている。
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18位
内町 後藤家
江戸時代中期に廻船問屋として名を馳せた豪商・後藤家の邸宅跡。江戸時代の町屋建築を後世に伝える貴重な文化遺産として、国の重要文化財に指定されている。本瓦の葺屋根や家紋入りの白壁、土壁で繋がれた蔵が往時の後藤家の財力を感じさせる。
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19位
旧森川家住宅
塩田経営を背景に作られた大正時代の質の高い屋敷。大正5年頃移築された。主屋や離れ座敷、茶室や土蔵など8棟の建物から成っており、茶室は小堀遠州流の茶人・不二庵の設計によるもの。大正期の面影が色濃く残る建物である。竹原市の重要文化財に指定されている。
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20位
木戸孝允旧宅
幕末から明治にかけて、薩摩藩と手を組んで江戸幕府を倒し、近代国家の礎を築いた木戸孝允。大久保利通、西郷隆盛と並び、「維新の三傑」と称された木戸が生まれ、江戸に出るまでの20年間を見届けた生家である。
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21位
岡益の石堂
岡益の南西の丘に建つ凝灰岩の石堂物。いつの時代、誰が何のために作ったか不明であることから「謎の石堂」と呼ばれている。均整の整った石堂の構築は高さ1mの基壇の上に厚さ40cmの一枚岩で出来た壁石を囲み、塔の笠石等を積み重ねたもの。岡益廃寺の施設とみられる一方安徳天皇の墓とする説もあり、明治29年(1896)に安徳天皇御陵参考地に指定され宮内庁が管理している。
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22位
中村憲吉旧居
アララギ派の歌人・中村憲吉が晩年を過ごした家であり、斎藤茂吉ら多くの文人が見舞いに訪れたといわれている。現在は離れのみ改修・公開されている。
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23位
犬養木堂記念館 旧犬養家住宅(木堂生家)
JR庭瀬駅から2kmほど北の山陽新幹線沿いにある国指定重要文化財の民家建築。明治から昭和初期に活躍した政治家犬養毅(雅号、木堂)の生家でもある。建物は江戸時代中期に建造されたものとされ、大庄屋の屋敷構えを良好な状態で保存する貴重な建物である。内部では犬養毅の足跡を偲ぶ遺品や写真、手紙などが展示。土間の天井に張られた梁や主屋の佇まいからは大庄屋の貫禄が感じられる。隣には犬養木堂記念館が隣接しており、「憲政の神」とも称された犬養毅を深く学ぶこともできる。
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24位
倉吉淀屋(旧牧田家住宅)
主屋は宝暦10年(1760)建築の町家建物で、倉吉に現存する商家の中では最古の建物。天保9年(1838)建築の付属屋は数寄屋風書院造りの建築物。牧田家は倉吉を代表する商家の一つで、屋号を「淀屋」と称していた。大阪淀屋橋で有名な豪商・淀屋と関係があったとも言われている。平成29年に修理が完了し、現在は主屋・付属屋ともに一般見学が可能。牧田家に所縁のある市内の大蓮寺には代々の淀屋清兵衛の墓が祀られており、あわせて訪ねる人も多い。
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25位
岡山禁酒会館
城下交差点の近くにある「岡山禁酒会館」は大正時代に建てられた3階建ての洋館。今も「酒害に関する相談会」などを行い「現役」で活躍しているのがすばらしい。カフェや書店があるので、気軽に立ち寄ることもできる。
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26位
足守の町並み
江戸時代に足守藩の陣屋町として栄えた足守地区。名園といわれる近水園(おみずえん)、威厳ある侍屋敷のほか、医師の緒方洪庵(おがたこうあん)や白樺派歌人の木下利玄(きのしたりげん)のゆかりのスポットが点在する。町並みをゆっくり散策しよう。
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27位
嚴島神社 高舞台
嚴島神社・本社祓殿前にある舞台。黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄を巡らせた舞台で、四天王寺の石舞台・住吉大社の石舞台と並んで「日本三舞台」のひとつに数えられる。舞台の原型は天文15年(1546)に嚴島神社の神官を務めていた棚守房顕によって作られたもの。当初は組み立て式だったが、江戸時代の初期になって現在のような作り付け構造になったと考えられている。平清盛が大阪の四天王寺から移したとされる舞楽は、今もなおこの舞台で演じられている。
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28位
多胡家老門
かつては津和野藩の家老屋敷が立ち並んでいた「津和野殿町通り」沿いの屋敷門。津和野藩主・亀井家の11代に渡って家老職を務めた多胡家をはじめ、大岡家、牧家三家老の門が立ち並んでいる。どっしりとしたその佇まいは往年の隆盛を今に伝える威風堂々たる姿。間口4m、長さ26mにもなる門の両側に物見や番所が残されている。周囲はなまこ塀と掘割りに泳ぐ鯉などが見られる津和野のシンボル的スポットだ。
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29位
常夜燈
万葉の昔から潮待ちの港として有名な鞆(とも)を象徴する光景といえば、江戸後期から明治前期に整備された石造りの常夜燈と石段状の船着き場の雁木だろう。江戸期の港湾施設がまとまって現存するのは国内唯一。
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30位
白雪楼
本格的木造建築の美術館・蘭島閣美術館の裏手に広がる屋敷。江戸時代の末期、福山市沼隈町の豪農・山路機谷によって邸内に移築され、漢学研鑚の場として多くの漢学者が訪れた。建物の内部は様々な趣向を凝らした建築様式。中でも一階にある可動壁を備えた和室は、現在ほとんど残っていない貴重な実例で、見学の休憩がてら庭を眺めながら抹茶を頂くこともできる。
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8位
神辺本陣
福山市神辺町は江戸時代に西国街道(近世山陽道)の宿駅として栄えた町。参勤交代の際に多くの大名が宿泊したのがこの「神辺本陣」だ。当時は交通の要所として三日市の尾道屋菅波家(西本陣)と七日市の本荘屋菅波家(東本陣)を有していたが、現在は西本陣が残るのみ。西本陣は重厚な佇まいは黒塗りの土塀に囲まれた荘厳な空間で、ほぼ当時と変わらぬ姿で現存している。250年前の歴史を今に伝えていることから、昭和44年(1969)に広島の重要文化財に指定された。
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9位
旧松阪家住宅
製塩や酒の醸造などの多角経営で栄えた豪商の屋敷であり、古い街並みが残る竹原市の重要伝統的建造物群保存地区にある。建物は江戸時代末期に建てられたもので、明治12年(1879)に全面改装。波打つような大屋根に菱格子の出窓など、独特の建築意匠が印象的である。室内は、数寄屋風の風雅な造りになっており、落ち着いた佇まいをみせている。
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10位
鞆の津の商家
福山市鞆町にある古い商家の建物で、市の重要文化財。もとは呉服店や船具店として使われていた建物であり、現在は典型的な鞆の商家として土日祝日に限り一般公開されている。江戸時代末期築の主屋は、店の間・中の間・奥の間が順に配された町屋の間取り。明治時代築の土蔵が主屋に食い込むような形で建てられているのが特徴的である。邸内には、当時の商売道具や民具などを展示。
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11位
箕浦家武家門
鳥取県庁の向かいに立つ重厚な長屋門。元々は東町のお堀端にあった鳥取藩士・箕浦家の表門として使用されていた。禄高約2千石にも及ぶ箕浦家は鳥取藩の中でも上級武士にあたる番頭の家柄。昭和に入って取り壊しの危機に瀕するが、民芸運動の指導者・柳宗悦がこの門に注目したことをきっかけに保存されることとなり、現在の位置に移築された。市内に現存する鳥取藩上士層の家門としては唯一のもので、武家長屋門の遺構として非常に貴重なものであることから鳥取市指定文化財に登録されている。
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12位
旧大社駅
明治45年(1912)の国鉄大社線の開通に伴い開業し、平成2年(平成2)に廃駅となった旧大社駅の駅舎。現存する建物は大正13年(1924)に改築された2代目であり、国の重要文化財に指定されている。威風堂々とした純日本風の木造建築で、黒瓦の屋根に漆喰の白壁が特徴的。駅舎内は、和風シャンデリアや出札室、事務室、貴賓室などが残る和洋折衷の空間になっている。
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13位
菅谷たたら山内
斐伊川(ひいかわ)上流域の奥出雲地方は、日本古来の「たたら製鉄」が行われてきたエリア。「菅谷たたら山内」には伝統的な製鉄施設である「高殿(たかどの)」が日本で唯一現存する。神々しさすら感じる高殿は一見の価値がある。
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14位
三百田氏住宅
古くからこの地方の庄屋を勤めていた三百田家の住宅跡。奥の間や納戸、広間を残した典型的な広間三間取に17世紀因幡地方の民家特色を色濃く残している。いわゆる「四八(しはち)」と称される民家は桁行八間、梁間四間からなる住宅構造。「三六(さぶろく)」が普通であった当時、非常に規模の大きい建築物であったことが伺える。元禄時代の建築方法と生活の知恵が分かることから県指定保護文化財に登録されている。
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15位
廉塾ならびに菅茶山旧宅
「廉塾」は江戸時代の儒学者・菅茶山によって天明元年(1781)に郷里・備後国(現在の神辺町)で開かれた私塾。公式には神辺学問所と呼ばれ、全国各地から常時20人もの塾生が訪れ、江戸時代後期の歴史家・頼山陽も塾頭の一人だったとされている。敷地内には現在も当時の講堂や寮舎、居宅や書庫などが残されており、近世の地方における教育施設として数少ない例であることから、国の特別史跡に指定された。
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16位
旧野崎家住宅
国指定重要文化財の旧野崎家住宅は、児島など瀬戸内海の塩田開発を行った塩田王・野崎家の大邸宅。敷地内を公開するほか、蔵の一部を展示室にして塩業や野崎家の歴史を紹介している。
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17位
入江豊三郎本店
鞆の浦の名産品「保命酒」は、江戸時代に福山藩の保護を受け、全国的に名が広がった薬酒である。1886年(明治19)創業の「入江豊三郎本店」は、保命酒の蔵元の一つで、植物性のみの材料を使い、みりんも製造している。2021年(令和3)11月に改装オープンした本店では、保命酒の試飲や土産の販売も行っている。また、約200年前の建物である仕込蔵でも保命酒とみりんの製造が行われている。
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18位
内町 後藤家
江戸時代中期に廻船問屋として名を馳せた豪商・後藤家の邸宅跡。江戸時代の町屋建築を後世に伝える貴重な文化遺産として、国の重要文化財に指定されている。本瓦の葺屋根や家紋入りの白壁、土壁で繋がれた蔵が往時の後藤家の財力を感じさせる。
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19位
旧森川家住宅
塩田経営を背景に作られた大正時代の質の高い屋敷。大正5年頃移築された。主屋や離れ座敷、茶室や土蔵など8棟の建物から成っており、茶室は小堀遠州流の茶人・不二庵の設計によるもの。大正期の面影が色濃く残る建物である。竹原市の重要文化財に指定されている。
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20位
木戸孝允旧宅
幕末から明治にかけて、薩摩藩と手を組んで江戸幕府を倒し、近代国家の礎を築いた木戸孝允。大久保利通、西郷隆盛と並び、「維新の三傑」と称された木戸が生まれ、江戸に出るまでの20年間を見届けた生家である。
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21位
岡益の石堂
岡益の南西の丘に建つ凝灰岩の石堂物。いつの時代、誰が何のために作ったか不明であることから「謎の石堂」と呼ばれている。均整の整った石堂の構築は高さ1mの基壇の上に厚さ40cmの一枚岩で出来た壁石を囲み、塔の笠石等を積み重ねたもの。岡益廃寺の施設とみられる一方安徳天皇の墓とする説もあり、明治29年(1896)に安徳天皇御陵参考地に指定され宮内庁が管理している。
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22位
中村憲吉旧居
アララギ派の歌人・中村憲吉が晩年を過ごした家であり、斎藤茂吉ら多くの文人が見舞いに訪れたといわれている。現在は離れのみ改修・公開されている。
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23位
犬養木堂記念館 旧犬養家住宅(木堂生家)
JR庭瀬駅から2kmほど北の山陽新幹線沿いにある国指定重要文化財の民家建築。明治から昭和初期に活躍した政治家犬養毅(雅号、木堂)の生家でもある。建物は江戸時代中期に建造されたものとされ、大庄屋の屋敷構えを良好な状態で保存する貴重な建物である。内部では犬養毅の足跡を偲ぶ遺品や写真、手紙などが展示。土間の天井に張られた梁や主屋の佇まいからは大庄屋の貫禄が感じられる。隣には犬養木堂記念館が隣接しており、「憲政の神」とも称された犬養毅を深く学ぶこともできる。
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24位
倉吉淀屋(旧牧田家住宅)
主屋は宝暦10年(1760)建築の町家建物で、倉吉に現存する商家の中では最古の建物。天保9年(1838)建築の付属屋は数寄屋風書院造りの建築物。牧田家は倉吉を代表する商家の一つで、屋号を「淀屋」と称していた。大阪淀屋橋で有名な豪商・淀屋と関係があったとも言われている。平成29年に修理が完了し、現在は主屋・付属屋ともに一般見学が可能。牧田家に所縁のある市内の大蓮寺には代々の淀屋清兵衛の墓が祀られており、あわせて訪ねる人も多い。
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岡山禁酒会館
城下交差点の近くにある「岡山禁酒会館」は大正時代に建てられた3階建ての洋館。今も「酒害に関する相談会」などを行い「現役」で活躍しているのがすばらしい。カフェや書店があるので、気軽に立ち寄ることもできる。
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26位
足守の町並み
江戸時代に足守藩の陣屋町として栄えた足守地区。名園といわれる近水園(おみずえん)、威厳ある侍屋敷のほか、医師の緒方洪庵(おがたこうあん)や白樺派歌人の木下利玄(きのしたりげん)のゆかりのスポットが点在する。町並みをゆっくり散策しよう。
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27位
嚴島神社 高舞台
嚴島神社・本社祓殿前にある舞台。黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄を巡らせた舞台で、四天王寺の石舞台・住吉大社の石舞台と並んで「日本三舞台」のひとつに数えられる。舞台の原型は天文15年(1546)に嚴島神社の神官を務めていた棚守房顕によって作られたもの。当初は組み立て式だったが、江戸時代の初期になって現在のような作り付け構造になったと考えられている。平清盛が大阪の四天王寺から移したとされる舞楽は、今もなおこの舞台で演じられている。
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多胡家老門
かつては津和野藩の家老屋敷が立ち並んでいた「津和野殿町通り」沿いの屋敷門。津和野藩主・亀井家の11代に渡って家老職を務めた多胡家をはじめ、大岡家、牧家三家老の門が立ち並んでいる。どっしりとしたその佇まいは往年の隆盛を今に伝える威風堂々たる姿。間口4m、長さ26mにもなる門の両側に物見や番所が残されている。周囲はなまこ塀と掘割りに泳ぐ鯉などが見られる津和野のシンボル的スポットだ。
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常夜燈
万葉の昔から潮待ちの港として有名な鞆(とも)を象徴する光景といえば、江戸後期から明治前期に整備された石造りの常夜燈と石段状の船着き場の雁木だろう。江戸期の港湾施設がまとまって現存するのは国内唯一。
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30位
白雪楼
本格的木造建築の美術館・蘭島閣美術館の裏手に広がる屋敷。江戸時代の末期、福山市沼隈町の豪農・山路機谷によって邸内に移築され、漢学研鑚の場として多くの漢学者が訪れた。建物の内部は様々な趣向を凝らした建築様式。中でも一階にある可動壁を備えた和室は、現在ほとんど残っていない貴重な実例で、見学の休憩がてら庭を眺めながら抹茶を頂くこともできる。
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