静岡県・歴史的建造物ランキングRANKING
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1位
次郎長生家
静岡市清水区にある歴史的建造物。「次郎長通り」に位置し、清水次郎長の生家として、次郎長や側近の大政と小政の写真、次郎長が愛用していた道具などが展示されているほか、居間なども当時のまま保存されている。またお土産品も販売されており、「勝札」は何でも願いが叶うと言われる人気のお土産となっている。
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2位
指月殿
石畳の階段を上り切った先にひっそりとたたずむ、伊豆最古の木造建築物と伝わる「指月殿(しげつでん)」。鎌倉時代、北条政子が源頼家の冥福を祈り、宋版大蔵経、釈迦三尊繍仏とともに寄進した、深い愛の込められた経堂を訪れよう。
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3位
天竜二俣駅前
天竜浜名湖鉄道の中心駅は、10の国登録文化財を持つ。特に、一般立入禁止の運転区内には、国鉄二俣線時代からの転車台や日本唯一の現役木造扇形車庫などの鉄道遺産があり、見学ツアーや乗車体験ツアーが人気である。また、鉄道歴史館や運転区事務所からは古き良き時代の生活が伝わる。ツアー後は駅併設の「ホームラン軒」でラーメンを楽しむのもおすすめだ。
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4位
舞坂宿脇本陣
旧東海道では唯一の脇本陣の遺構。江戸から数えて30番目にあたる舞坂宿に天保9年(1838)建築の旧脇本陣「茗荷屋」の上段の間があった書院棟が残されている。舞坂宿はかつての東海道宿で東西交通を結ぶ今切渡しの渡船場だった場所。大正時代には旧脇本陣を役場として利用していたという記録が残っている。当時の街並みは残っていないが、平成9年(1997)に行われた解体修理時に主屋などが復元され、一般公開されている。
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5位
江川邸
42代・900年続く大和源氏の末裔である江川家が常駐した代官屋敷で、国指定重要文化財。静岡県伊豆の国市韮山の国指定史跡「韮山役所」の中にある。保元元年(1156)の保元の乱の後、6代の宇野親信が伊豆韮山の地に定住したことが江川邸の歴史の始まり。宇野家は江川家に改姓し、江戸時代には11代にわたり代官を務めた。主屋は単層入母屋造りで、免震構造でもある幾何学的な屋根裏の木組みや立ち木のまま柱にした「生き柱」など見どころが多い。
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6位
韮山反射炉
2015(平成27)に「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録された「韮山反射炉」。史跡内のガイド説明やガイダンスセンター見学で歴史や構造を学べる。天気が良ければ富士山と韮山反射炉の「ダブル世界遺産」を撮影できるおすすめのフォトスポットだ。
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7位
重要文化財 岩科学校
寺子屋から学び舎へ。岩科村の人たちの思いを受け建てられた学び舎は、伊豆地域に現存する最古の小学校校舎として、ここを巣立った生徒たちに守られ大切に保存されている。明治時代の面影残る学び舎で当時の景色を眺めよう。
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8位
名主の館「小池邸」
由比地区で長年名主をつとめた小池家の母屋。「名主」とは村落内の行政を行っていた村方三役の代表格。西国では「庄屋」と呼ばれ、領主側の支配機構と百姓側の接点として重要な役割を担っていた。低い軒の瓦葺きに潜り戸付きの大戸、格子などの外観が、寺尾地域の民家の面影を物語っている。内部はたたき土間と六畳の整形四間からなる田の字形四つ目取りの部屋。外回りの石垣には100年前の美しさを残しており、往時の民家の風情を現在に伝えている。
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9位
大鐘家住宅
江戸時代初期には旗本3千石の格式を持ち、18世紀初めに大庄屋となった大鐘家の住居跡。今から300余年前の江戸時代中期に建てられた民家に、土間のかまどや座敷のへっついなど往時の生活様式を偲ばせる遺構が残っている。裏山からは雄大な富士山の姿や駿河湾を一望可能。当時の佇まいが残る母屋や長屋門は国定重要文化財に指定されている。庭園にはアジサイをはじめ花菖蒲や芙蓉などが植えられており、四季折々の花を楽しめる。
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10位
磐田市旧見付学校
洋風建築を模した木造の小学校校舎としては、国内に現存するなかで最も古く、隣接する私設文庫蔵・磐田文庫とともに国の史跡に指定されている。当時の授業風景を再現し、貴重な資料が展示されている館内も見ごたえ十分だ。
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11位
起雲閣
1919年(大正8)に別荘として築かれ「熱海の三代別荘」として親しまれた起雲閣。その後1947年(昭和22)に旅館として生まれ変わると山本有三、志賀直哉、太宰治など著名な文豪たちに愛された歴史あるスポットだ。
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12位
史跡田中城下屋敷
田中城の南東隅にある屋敷跡。江戸時代後期に田中藩主を務めた本多家の庭園に城主の下屋敷(別荘)が設けられ、四季の景色を楽しんでいたといわれている。往時は築山や泉水、茶室が設けられ草花や月見の名所として知られていた。現在は庭園跡全域が史跡公園として整備されており、田中城本丸櫓や茶室、長楽寺村郷蔵などが移築復元されている。城内にあった建物の実物が現在まで残っていることは極めて珍しいため、市指定文化財に登録されている。
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13位
国登録有形文化財 お休み処
江戸時代に「和泉屋」の屋号で使われていた旅籠跡。天保年間(1830-1844)に建てられたと伝わる建築物は東海道を行く旅人が宿泊していたもので、安政の大地震でも倒壊せず当時の面影を現代に伝えている。看板かけや2階の手すりは建築当時のままのものだ。往時はひとつの建物だったが、現在は左側4間を個人の住宅、右側2間弱をお休み処として公開している。また、館内で織り染めや銀細工、粘土クラフトなどが体験できる。
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14位
岡部宿 大旅籠柏屋
江戸時代の天保7年(1836)に建てられた旅籠。主屋は歴史資料館として当時の様子を再現し、旅道具や生活用品などを展示している。2つの土蔵はギャラリーや和風レストランとして利用されており、多目的棟や展示研修棟を展示スペースとしても活用可能だ。創建から170余年を経た現在でも東海道筋における貴重な建物であることから、平成10年(1998)に国の登録有形文化財に指定されている。
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15位
双柿舎
シェイクスピア作品の翻訳家として知られる明治の文豪・坪内逍遙が過ごした住居跡。熱海をこよなく愛した同氏が大正9年(1920)から昭和10年(1935)に亡くなるまでの15年間をここで過ごしたといわれている。「双柿舎」の名前の由来は樹齢300余年と言われる2本の柿の大樹。それまでは現在の銀座町でシェイクスピア劇の翻訳や戯曲「名残の星月夜」、「義時の最後」などを著していたが、閑静だった街が賑やかになり執筆活動に専念できなくなったことから、熱海に移り住んだといわれている。
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8位
名主の館「小池邸」
由比地区で長年名主をつとめた小池家の母屋。「名主」とは村落内の行政を行っていた村方三役の代表格。西国では「庄屋」と呼ばれ、領主側の支配機構と百姓側の接点として重要な役割を担っていた。低い軒の瓦葺きに潜り戸付きの大戸、格子などの外観が、寺尾地域の民家の面影を物語っている。内部はたたき土間と六畳の整形四間からなる田の字形四つ目取りの部屋。外回りの石垣には100年前の美しさを残しており、往時の民家の風情を現在に伝えている。
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9位
大鐘家住宅
江戸時代初期には旗本3千石の格式を持ち、18世紀初めに大庄屋となった大鐘家の住居跡。今から300余年前の江戸時代中期に建てられた民家に、土間のかまどや座敷のへっついなど往時の生活様式を偲ばせる遺構が残っている。裏山からは雄大な富士山の姿や駿河湾を一望可能。当時の佇まいが残る母屋や長屋門は国定重要文化財に指定されている。庭園にはアジサイをはじめ花菖蒲や芙蓉などが植えられており、四季折々の花を楽しめる。
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10位
磐田市旧見付学校
洋風建築を模した木造の小学校校舎としては、国内に現存するなかで最も古く、隣接する私設文庫蔵・磐田文庫とともに国の史跡に指定されている。当時の授業風景を再現し、貴重な資料が展示されている館内も見ごたえ十分だ。
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11位
起雲閣
1919年(大正8)に別荘として築かれ「熱海の三代別荘」として親しまれた起雲閣。その後1947年(昭和22)に旅館として生まれ変わると山本有三、志賀直哉、太宰治など著名な文豪たちに愛された歴史あるスポットだ。
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12位
史跡田中城下屋敷
田中城の南東隅にある屋敷跡。江戸時代後期に田中藩主を務めた本多家の庭園に城主の下屋敷(別荘)が設けられ、四季の景色を楽しんでいたといわれている。往時は築山や泉水、茶室が設けられ草花や月見の名所として知られていた。現在は庭園跡全域が史跡公園として整備されており、田中城本丸櫓や茶室、長楽寺村郷蔵などが移築復元されている。城内にあった建物の実物が現在まで残っていることは極めて珍しいため、市指定文化財に登録されている。
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13位
国登録有形文化財 お休み処
江戸時代に「和泉屋」の屋号で使われていた旅籠跡。天保年間(1830-1844)に建てられたと伝わる建築物は東海道を行く旅人が宿泊していたもので、安政の大地震でも倒壊せず当時の面影を現代に伝えている。看板かけや2階の手すりは建築当時のままのものだ。往時はひとつの建物だったが、現在は左側4間を個人の住宅、右側2間弱をお休み処として公開している。また、館内で織り染めや銀細工、粘土クラフトなどが体験できる。
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14位
岡部宿 大旅籠柏屋
江戸時代の天保7年(1836)に建てられた旅籠。主屋は歴史資料館として当時の様子を再現し、旅道具や生活用品などを展示している。2つの土蔵はギャラリーや和風レストランとして利用されており、多目的棟や展示研修棟を展示スペースとしても活用可能だ。創建から170余年を経た現在でも東海道筋における貴重な建物であることから、平成10年(1998)に国の登録有形文化財に指定されている。
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15位
双柿舎
シェイクスピア作品の翻訳家として知られる明治の文豪・坪内逍遙が過ごした住居跡。熱海をこよなく愛した同氏が大正9年(1920)から昭和10年(1935)に亡くなるまでの15年間をここで過ごしたといわれている。「双柿舎」の名前の由来は樹齢300余年と言われる2本の柿の大樹。それまでは現在の銀座町でシェイクスピア劇の翻訳や戯曲「名残の星月夜」、「義時の最後」などを著していたが、閑静だった街が賑やかになり執筆活動に専念できなくなったことから、熱海に移り住んだといわれている。
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