その他の史跡/建造物・長崎県ランキングRANKING
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1位
山王神社 二の鳥居(一本柱鳥居)
昭和20年(1945)、長崎市に投下された原子爆弾。爆心地から南東約900mの高台にあった山王神社は甚大な被害を受け、社殿は跡形もなく崩れさった。その山王神社の参道にあるのが一本柱鳥居である。もとは4つあった鳥居のうち、この鳥居だけが片方の柱を残し現存した。原爆の脅威を物語る鳥居である。
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2位
出島(国指定史跡「出島和蘭商館跡」)
江戸時代に唯一、ヨーロッパとの貿易を許されていた出島。扇形の小さなこの島には蘭学と呼ばれた西洋の学問や、コーヒーや香辛料といった食文化などが持ち込まれた。当時の最先端が集まった人工島を散策しよう。
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3位
日本二十六聖人記念館
慶長元年(1597)、豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、フランシスコ会宣教師6名と日本人信徒20名が処刑された丘。キリストが十字架の架けられたゴルゴダの丘に似ていることからここでの殉教を願い出たとも言われ、その後も多くの宣教師、信徒たちがこの地で処刑された。昭和37年(1962)、二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込記念碑が建てられた。また昭和25年(1950)にはローマ教皇によりバチカン指定公式巡礼地と定められた。
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4位
平戸オランダ商館 1639年築造倉庫(復元)
17世紀の大航海時代、日本で最初の西洋貿易港としてポルトガルやイギリス、オランダとの交流が始まった平戸。東インド会社が設置したオランダ商館の倉庫を復元し、その歴史や役割、海外との交易についてさまざまな史料で解説する。
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5位
武家屋敷
松倉重政が島原城を築城した際、城の西側に作られた武家町。居住していたのは鉄砲を中心とした徒歩部隊であったため「鉄炮町」とも呼ばれていた。約700戸の屋敷が軒を連ねていたという通りには、生活用水として使われていた島原の湧水が今も流れており、その清らかな流れは、風情豊かな眺めである。
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6位
平和祈念像
路面電車「平和公園」から徒歩で約3分。長崎駅の北に位置する平和公園内「願いのゾーン」にある青銅像。長崎県出身の彫刻家である北村西望氏が製作した像を原爆投下から10年後の昭和30年(1955)に建立したもので、右手は原爆の脅威、左手は平和、閉じた目は「原爆犠牲者の冥福を祈る」という意味がそれぞれ込められている。毎年8月9日には、像の前にある式典広場で平和祈念式典が行なわれる。
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7位
高島炭坑跡(高島北渓井坑跡)
長崎市高島町にある炭鉱跡。ユネスコの世界遺産に登録されている「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つ。1695年に石炭が発見され、焼き物や塩の製造の燃料として使用された。1868年からは佐賀藩とグラバー商会より、当時の最新の設備により日本ではじめて蒸気機関を使った竪坑での採炭を行ったが、経営権は最終的に三菱に渡り、長崎に寄港する船の燃料などとして巨万の富をもたらした。現在は無料で見学可能。
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8位
対馬藩お船江跡
対馬市厳原町久田にある県指定の史跡。人工の入り江と4つの突堤、船を引き入れて格納する5つの船渠(せんきょ)からなる。かつては海に面した藩に多く設置されていた施設であるが、現在でも原形が残っている遺構は全国的にも稀である。
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9位
唐人屋敷跡
長崎市館内町にある史跡。江戸時代に中国と独占的に貿易を行っていた長崎で密貿易が増加したことから、幕府によって唐人が滞在するための屋敷が作られ、人の出入りが制限された。この内、現在4堂が修復、保存されている。
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10位
はらほげ地蔵
壱岐市芦辺町諸吉本村触にある地蔵。六道において衆生を救うという六体の地蔵が海にせり出した場所に祀られており、満潮時には海に浸かっている姿を拝むことができる。「はらほげ」の名は腹の部分が丸くえぐれていることに由来するが、祀られた目的については諸説ある。
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11位
フルーツバス停
1990年(平成2)の長崎旅博覧会で「訪れる人をもてなそう」と小長井町が企画し、『シンデレラ』の馬車から着想を得てフルーツバス停を設置した。現在は諫早市内と山茶花高原方面に16基のフルーツモチーフのバス待合所があり、その可愛らしさは見る人を笑顔にするだろう。
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12位
厳原城下町めぐり
対馬の中心地、厳原にある金石城跡は、1528年(享禄元)に宗氏によって建てられ、1669年(寛文9)に櫓が築かれた。現在の櫓は1990年(平成2)に再建された。宗氏は1243年(寛元元)に阿比留氏から権力を引き継ぎ、明治維新まで続いた。阿比留氏は神官として勢力を保ち、現在でも阿比留は島内で最も多い姓である。宗氏は1274年(文永11)と1281年(弘安4)の元寇で蒙古軍と最初に戦った。
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13位
黒崎砲台跡
壱岐には、猿岩近くに戦争遺跡が存在する。1924年(大正13)に全島が要塞地帯とされ、1928年(昭和3)から建設が始まった黒崎砲台の跡がそこにある。対馬海峡を通過する敵艦船を攻撃するために設置され、戦艦土佐の主砲が据えられた。しかし、実戦で使われることはなく、1950年(昭和25)にアメリカ軍の司令により解体撤去された。
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14位
畑ノ原窯跡
朝鮮から大村藩に帰化した波佐見焼の祖・李祐慶が慶長4年(1599)に築いた朝鮮式連房登窯で、400年以上が経った現在も原型を留めたまま保存されている。磁器窯としては日本最古のもので、国の史跡に指定されている。
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15位
生月大魚籃観音
平戸市生月町にある観音像。海難事故の犠牲者や魚介類の慰霊、また航海の安全と世界平和の祈念を目的とし、漁港を見下ろす丘の上に昭和55年(1980)に建立された。像高18m。台座内部は一般に公開されており、10分の1スケールの生月大魚籃観音も祀られている。
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16位
鄭成功廟
明朝復興運動で知られる鄭成功を祀っている。日本人の母を持つ鄭成功は、寛永元年(1624)に平戸で生まれた。オランダの統治下にあった台湾を奪還したことから、現在の台湾の開祖ともされており、同地に祀られている神霊は台南の「明延平郡王祠」から分霊を受けたものである。
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17位
原の辻一支国王都復元公園・原の辻ガイダンス
芦辺港から車で約10分。原の辻一支国王都復元公園内にある史跡で、遺跡およびその出土品は日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島 -古代からの架け橋-」の一部に認定されている。魏志倭人伝に記された一支国の王都とされ、弥生時代から古墳時代にかけて形成された多重環濠集落となる。話題になった人面石などの出土品から日本最古とされる船着き場跡まで歴史的価値が高い発見が多数。隣の博物館では発掘された品の展示や勾玉作りなどの体験教室を行っている。
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18位
司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑
長崎市伊良林の「風頭公園」内にある碑。司馬遼太郎の長編小説「竜馬がゆく」の一節を引用したもので、龍馬が長崎に向かう船上で「やがては日本回天の足場になる」と長崎について語る場面が刻まれている。坂本龍馬の銅像も隣接。
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19位
西園寺公望仮寓居跡
長崎市玉園町の筑後通り沿いにある史跡。 第12代と第14代の2度にわたって内閣総理大臣を務めるなど、要職を歴任した政治家・西園寺公望が、明治初期にフランス留学前の準備期間を過ごしていた仮寓居の跡地。
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20位
長崎原子爆弾落下中心地
国道206号線沿いの「爆心地公園」内にある碑。昭和20年(1945)8月9日の午前11時2分、アメリカ軍により長崎に投下された原子爆弾が同地の上空約500mで爆発。爆心地の地表温度は3000℃から4000℃に達したという。
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21位
思切橋跡
長崎市船大工町にある、橋の跡を示す石碑。かつて花街の入り口が見える場所に位置しており、花街に入る決意を固めて渡ったことから「思切橋」と呼ばれていた。北側の電停近くには、思切橋を渡る前に行くか戻るか躊躇したという「思案橋」の跡を示す石碑が設置されている。
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8位
対馬藩お船江跡
対馬市厳原町久田にある県指定の史跡。人工の入り江と4つの突堤、船を引き入れて格納する5つの船渠(せんきょ)からなる。かつては海に面した藩に多く設置されていた施設であるが、現在でも原形が残っている遺構は全国的にも稀である。
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9位
唐人屋敷跡
長崎市館内町にある史跡。江戸時代に中国と独占的に貿易を行っていた長崎で密貿易が増加したことから、幕府によって唐人が滞在するための屋敷が作られ、人の出入りが制限された。この内、現在4堂が修復、保存されている。
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10位
はらほげ地蔵
壱岐市芦辺町諸吉本村触にある地蔵。六道において衆生を救うという六体の地蔵が海にせり出した場所に祀られており、満潮時には海に浸かっている姿を拝むことができる。「はらほげ」の名は腹の部分が丸くえぐれていることに由来するが、祀られた目的については諸説ある。
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11位
フルーツバス停
1990年(平成2)の長崎旅博覧会で「訪れる人をもてなそう」と小長井町が企画し、『シンデレラ』の馬車から着想を得てフルーツバス停を設置した。現在は諫早市内と山茶花高原方面に16基のフルーツモチーフのバス待合所があり、その可愛らしさは見る人を笑顔にするだろう。
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12位
厳原城下町めぐり
対馬の中心地、厳原にある金石城跡は、1528年(享禄元)に宗氏によって建てられ、1669年(寛文9)に櫓が築かれた。現在の櫓は1990年(平成2)に再建された。宗氏は1243年(寛元元)に阿比留氏から権力を引き継ぎ、明治維新まで続いた。阿比留氏は神官として勢力を保ち、現在でも阿比留は島内で最も多い姓である。宗氏は1274年(文永11)と1281年(弘安4)の元寇で蒙古軍と最初に戦った。
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13位
黒崎砲台跡
壱岐には、猿岩近くに戦争遺跡が存在する。1924年(大正13)に全島が要塞地帯とされ、1928年(昭和3)から建設が始まった黒崎砲台の跡がそこにある。対馬海峡を通過する敵艦船を攻撃するために設置され、戦艦土佐の主砲が据えられた。しかし、実戦で使われることはなく、1950年(昭和25)にアメリカ軍の司令により解体撤去された。
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14位
畑ノ原窯跡
朝鮮から大村藩に帰化した波佐見焼の祖・李祐慶が慶長4年(1599)に築いた朝鮮式連房登窯で、400年以上が経った現在も原型を留めたまま保存されている。磁器窯としては日本最古のもので、国の史跡に指定されている。
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15位
生月大魚籃観音
平戸市生月町にある観音像。海難事故の犠牲者や魚介類の慰霊、また航海の安全と世界平和の祈念を目的とし、漁港を見下ろす丘の上に昭和55年(1980)に建立された。像高18m。台座内部は一般に公開されており、10分の1スケールの生月大魚籃観音も祀られている。
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16位
鄭成功廟
明朝復興運動で知られる鄭成功を祀っている。日本人の母を持つ鄭成功は、寛永元年(1624)に平戸で生まれた。オランダの統治下にあった台湾を奪還したことから、現在の台湾の開祖ともされており、同地に祀られている神霊は台南の「明延平郡王祠」から分霊を受けたものである。
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17位
原の辻一支国王都復元公園・原の辻ガイダンス
芦辺港から車で約10分。原の辻一支国王都復元公園内にある史跡で、遺跡およびその出土品は日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島 -古代からの架け橋-」の一部に認定されている。魏志倭人伝に記された一支国の王都とされ、弥生時代から古墳時代にかけて形成された多重環濠集落となる。話題になった人面石などの出土品から日本最古とされる船着き場跡まで歴史的価値が高い発見が多数。隣の博物館では発掘された品の展示や勾玉作りなどの体験教室を行っている。
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18位
司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑
長崎市伊良林の「風頭公園」内にある碑。司馬遼太郎の長編小説「竜馬がゆく」の一節を引用したもので、龍馬が長崎に向かう船上で「やがては日本回天の足場になる」と長崎について語る場面が刻まれている。坂本龍馬の銅像も隣接。
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19位
西園寺公望仮寓居跡
長崎市玉園町の筑後通り沿いにある史跡。 第12代と第14代の2度にわたって内閣総理大臣を務めるなど、要職を歴任した政治家・西園寺公望が、明治初期にフランス留学前の準備期間を過ごしていた仮寓居の跡地。
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20位
長崎原子爆弾落下中心地
国道206号線沿いの「爆心地公園」内にある碑。昭和20年(1945)8月9日の午前11時2分、アメリカ軍により長崎に投下された原子爆弾が同地の上空約500mで爆発。爆心地の地表温度は3000℃から4000℃に達したという。
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21位
思切橋跡
長崎市船大工町にある、橋の跡を示す石碑。かつて花街の入り口が見える場所に位置しており、花街に入る決意を固めて渡ったことから「思切橋」と呼ばれていた。北側の電停近くには、思切橋を渡る前に行くか戻るか躊躇したという「思案橋」の跡を示す石碑が設置されている。
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