その他の史跡/建造物・山口県ランキングRANKING
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1位
恵美須ヶ鼻造船所跡
萩市椿東にある史跡。幕末の時代に長州藩が洋式帆船を建造した造船場の跡地で、世界遺産の「明治日本の産業革命遺産製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つになっている。当時のままの石造りの防波堤からは、海の景色も一望できる。
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2位
前原一誠旧宅
萩市土原にある史跡で、明治9年(1876)に起きた、萩の乱の中心人物である前原一誠の旧宅跡。二度にわたって改築が行われているが、古井戸やカキの古木などは残っており、当時の時代を感じることができる。個人所有のため、見学は外観のみ可能。
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3位
大村益次郎生誕宅跡
JR山陽本線「四辻駅」から、徒歩約3分にある史跡。幕末期の長州藩の医師・西洋学者・兵学者であり、維新の十傑の一人である大村益次郎の生家跡地で、現在は碑が立っている。周囲は駐車場のある公園として整備されており、幕末の歴史に思いを馳せながら散策することができる。
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4位
萩城城下町の碑
萩市呉服町の「江戸屋横丁」と「御成道」の角地に立つ碑。周辺は、商人や中下級武士の住むエリアだったことから、風情のある小路や町屋、武家屋敷などを鑑賞することができ、一帯は国指定の史跡にも選ばれている。またレンタサイクルもあるので、城下町の散策に多くの観光客が利用している。
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5位
高杉晋作誕生地
明治維新に大きく貢献しながらも、27歳8か月の若さで夭折した高杉晋作生誕の地。幕末の長州藩士のなかでも屈指の人気と知名度を誇る文武両道ヒーローだけに訪れる人は多く、萩城下町きっての人気スポットとなっている。
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6位
萩反射炉
江戸時代末期、海防強化を目的に西洋式の鉄製大砲を造るため、安政3年(1856)に建設された反射炉の遺跡である。現存しているのは反射炉の煙突にあたる部分で、高さは約10.5m。現存する反射炉は萩反射炉を含めわずか3基のみであり、当時の技術を知ることができる貴重な遺構だ。
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7位
北向地蔵尊
宇部市西岐波上片倉にある地蔵菩薩像。病気回復をはじめとしたご利益があるとされ、焚かれている線香の煙を自身の患部に当てると良くなると言われている。毎月24日の例祭のほか、1月、4月、8月に大祭が行われる。
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8位
旧赤間関稲荷町跡
江戸時代、北前船の寄港地として栄えた旧赤間関の一角にある花街跡。当時の建物は現存していないものの、由緒ある地名が失われることを惜しみ、昭和61年(1986年)に『旧赤間関稲荷町跡』の石碑が設置された。
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9位
平家の一杯水
下関市前田町、国道9号線沿いにある湧き水で、かつて壇ノ浦の戦いで深手を負った平家の武将が水溜まりを見つけ、飲んでみると真水だったが、もう一口飲もうとしたら塩水になっていた、という伝説が残されている。小さな鳥居と祠が建てられており、毎年元旦には若水として赤間神宮の御神前に供えられている。
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10位
其中庵
漂泊の俳人・種田山頭火が昭和7年から昭和13年(1932-1938)の間過ごした庵を、当時親しく訪れていた近木黎々火氏による見取り図をもとに復元した場所だ。「其中庵」の名前は法華経の中に登場する「其中一人作是証言」という語から取られたもの。庭園や水琴窟のある休憩所と合わせて、山頭火を偲んで訪れる人々のために無料開放されている。建物の横に建つ山頭火の師・荻原井泉水の筆による句碑や東屋、山頭火の使用していた井戸など見どころも多い。
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11位
雲谷庵跡
中世の画聖・雪舟の旧居跡。大内氏の招きにより40歳頃にこの地を訪れた雪舟が暮らしていたとされる庵だ。応仁元年(1467)に遣明船に乗り中国に渡った雪舟は、彩色や破墨の画法を学んで帰国。その後も亡くなるまで山口に留まり、作画活動と弟子の養成につとめたとされる。建物は明治の廃藩後に一度荒廃したが、明治17年(1884)に古い社寺の古材を用いて復元された。現在は市指定史跡に登録されている。
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12位
中原中也詩碑
遠く異郷の地で短い生涯を閉じた山口出身の詩人・中原中也の詩碑。湯田の旅館やホテルが軒を連ねる錦川通り沿いに中也の代表作のひとつ未刊詩編「童謡」が、自筆原稿から写しとった文字で刻まれている。この詩は昭和8年(1933)に作られたもので、小学校の国語の教科書に掲載されていることで有名。市内にはここ錦川通り沿いのほかに井上公園や高田公園内、鳴滝長門峡に詩碑が立てられている。
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13位
野山獄跡・岩倉獄跡
東萩駅から徒歩で約10分の距離にある市指定史跡。正保2年(1645)、酒に酔った大組藩士・岩倉孫兵衛が同じく大組藩士の野山六右衛門の屋敷に切り込み家族を殺傷するという事件が起きた。岩倉は斬首の刑に処され、両家とも取り潰しになる。後に藩は両家跡を牢獄とし、切り込んだ岩倉に非があるため士分の者を収容する上牢を野山獄、庶民を収容する下牢を岩倉獄とした場所だ。野山獄には海外密航に失敗した吉田松陰をはじめ高杉晋作や楫取素彦ら多くの志士が入牢。岩倉獄には松陰の従者だった金子重之助も投じられている。萩藩の波乱に富んだ維新当時の姿を偲ぶことができる史跡だ。
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14位
菊ヶ浜土塁(女台場)
高さ3m、幅12mの土塁の一部が50mにわたって残る市指定史跡。文久3年(1863)、尊皇攘夷を掲げる長州藩が下関・関門海峡を通過する外国船を砲撃する事件が発生した。これをきっかけに萩の住民間でも城下を自らの手で守ろうとする機運がにわかに高まったことを受け、藩は日本海に面した菊ヶ浜に土塁の築造するよう命じる。留守をあずかる老若男女たちが身分や貧富を問わず奉仕作業を行った。土塁の築造に際して武士の妻や奥女中の功績が特に大きかったため「女台場」と呼ばれるようになった。
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15位
山県有朋誕生地
明治維新の立役者で萩出身の総理大臣の一人である山県有朋の誕生地。吉田松陰の松下村塾に学び、長州藩の中心人物の一人として活躍。大正11年(1922)にこの世を去るまで長州出身の長老として長きにわたって明治政府の中心的な存在であり続けた。有朋が天保9年(1838)に生を受けた橋本川畔の一画に、高さ約3mの巨碑が立っている。
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16位
吉田松陰誕生地
後に明治維新で活躍する多数の門下生を輩出したことで有名な「松下村塾」の指導者・吉田松陰の誕生地。団子岩と呼ばれる風光明媚な高台から萩市内を一望できる。敷地内に現存する建物は残っていないが大正時代に設置した屋敷の間取りを示す敷石が残っており、松陰が19歳頃までを過ごした空気を感じることが可能だ。誕生地そばには吉田松陰・金子重輔の銅像や松下村塾の門下生・山県有朋による石碑などが建っている。
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17位
久坂玄瑞誕生地
高杉晋作と並んで「松下村塾の双璧」と称された幕末の志士・久坂玄瑞の旧宅跡。かんきつ公園や旧田中別邸にも近い城下町の一画に、追悼の和歌を刻んだ石碑が建っている。天保11年(1840)に生を受けた久坂玄瑞は松下村塾を主宰した吉田松陰から「防長年少第一流の才気ある男」と絶賛された人物。享年25歳という若さで自刃するも、藩論を尊王攘夷にした存在として有名だ。石碑から徒歩5分ほどの場所にある中央公園には、勇ましく凛々しい姿の久坂玄瑞進撃像が立っている。
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18位
周防国衙跡
国衙(こくが)とは7世紀後半頃から国司と呼ばれる役人が政務を行った役所のこと。平安時代以降、律令体制の変質と衰退に伴い移転縮小した国府が多い中、周防国府は鎌倉時代以降も多くの期間、東大寺の管理となって近世まで存在したといわれている。国衙の中心的建物があったと推測される国庁域、港が設けられていたと考えられる浜ノ宮地区、国府域の四隅、国府域の西限と推定される大樋土手は、全国の国府跡の中で最も早く国史跡の指定を受けた地域。政庁があったと推定される場所は現在公園として整備されている。
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19位
国木田独歩旧宅
明治の文豪、国木田独歩が青年時代の数年間を過ごした屋敷。明治25年から27年(1892-1894)、20代の多感な時代を過ごしたと言われている。屋敷内には胸像や月琴、直筆の日記など独歩ゆかりの品が展示されており、外からであれば見学が可能。「少年の悲哀」や「帰去来」など柳井をテーマにした作品は多数あるが、短編小説「少年の悲哀」は、独歩がこの地で暮らしていた時代を題材にしたものと言われている。
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20位
柳と井戸(湘江庵)
柳井の地名発祥の地とされる柳の木と井戸。今からおよそ1400年前、後の用明天皇に召された般若姫が上洛する際に遭難し、井戸の清水を飲んで一命をとりとめたという伝説が残る場所だ。お礼に刺した柳の楊枝が一夜にして芽を吹き、柳の巨木になったという言い伝えから「楊井」の地名が生まれ、江戸時代に「柳井」へ改められた。現在の柳は5代目の木。井戸の清水を飲めば美人になれるとも言い伝えられている。
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8位
旧赤間関稲荷町跡
江戸時代、北前船の寄港地として栄えた旧赤間関の一角にある花街跡。当時の建物は現存していないものの、由緒ある地名が失われることを惜しみ、昭和61年(1986年)に『旧赤間関稲荷町跡』の石碑が設置された。
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9位
平家の一杯水
下関市前田町、国道9号線沿いにある湧き水で、かつて壇ノ浦の戦いで深手を負った平家の武将が水溜まりを見つけ、飲んでみると真水だったが、もう一口飲もうとしたら塩水になっていた、という伝説が残されている。小さな鳥居と祠が建てられており、毎年元旦には若水として赤間神宮の御神前に供えられている。
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10位
其中庵
漂泊の俳人・種田山頭火が昭和7年から昭和13年(1932-1938)の間過ごした庵を、当時親しく訪れていた近木黎々火氏による見取り図をもとに復元した場所だ。「其中庵」の名前は法華経の中に登場する「其中一人作是証言」という語から取られたもの。庭園や水琴窟のある休憩所と合わせて、山頭火を偲んで訪れる人々のために無料開放されている。建物の横に建つ山頭火の師・荻原井泉水の筆による句碑や東屋、山頭火の使用していた井戸など見どころも多い。
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11位
雲谷庵跡
中世の画聖・雪舟の旧居跡。大内氏の招きにより40歳頃にこの地を訪れた雪舟が暮らしていたとされる庵だ。応仁元年(1467)に遣明船に乗り中国に渡った雪舟は、彩色や破墨の画法を学んで帰国。その後も亡くなるまで山口に留まり、作画活動と弟子の養成につとめたとされる。建物は明治の廃藩後に一度荒廃したが、明治17年(1884)に古い社寺の古材を用いて復元された。現在は市指定史跡に登録されている。
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12位
中原中也詩碑
遠く異郷の地で短い生涯を閉じた山口出身の詩人・中原中也の詩碑。湯田の旅館やホテルが軒を連ねる錦川通り沿いに中也の代表作のひとつ未刊詩編「童謡」が、自筆原稿から写しとった文字で刻まれている。この詩は昭和8年(1933)に作られたもので、小学校の国語の教科書に掲載されていることで有名。市内にはここ錦川通り沿いのほかに井上公園や高田公園内、鳴滝長門峡に詩碑が立てられている。
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13位
野山獄跡・岩倉獄跡
東萩駅から徒歩で約10分の距離にある市指定史跡。正保2年(1645)、酒に酔った大組藩士・岩倉孫兵衛が同じく大組藩士の野山六右衛門の屋敷に切り込み家族を殺傷するという事件が起きた。岩倉は斬首の刑に処され、両家とも取り潰しになる。後に藩は両家跡を牢獄とし、切り込んだ岩倉に非があるため士分の者を収容する上牢を野山獄、庶民を収容する下牢を岩倉獄とした場所だ。野山獄には海外密航に失敗した吉田松陰をはじめ高杉晋作や楫取素彦ら多くの志士が入牢。岩倉獄には松陰の従者だった金子重之助も投じられている。萩藩の波乱に富んだ維新当時の姿を偲ぶことができる史跡だ。
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14位
菊ヶ浜土塁(女台場)
高さ3m、幅12mの土塁の一部が50mにわたって残る市指定史跡。文久3年(1863)、尊皇攘夷を掲げる長州藩が下関・関門海峡を通過する外国船を砲撃する事件が発生した。これをきっかけに萩の住民間でも城下を自らの手で守ろうとする機運がにわかに高まったことを受け、藩は日本海に面した菊ヶ浜に土塁の築造するよう命じる。留守をあずかる老若男女たちが身分や貧富を問わず奉仕作業を行った。土塁の築造に際して武士の妻や奥女中の功績が特に大きかったため「女台場」と呼ばれるようになった。
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15位
山県有朋誕生地
明治維新の立役者で萩出身の総理大臣の一人である山県有朋の誕生地。吉田松陰の松下村塾に学び、長州藩の中心人物の一人として活躍。大正11年(1922)にこの世を去るまで長州出身の長老として長きにわたって明治政府の中心的な存在であり続けた。有朋が天保9年(1838)に生を受けた橋本川畔の一画に、高さ約3mの巨碑が立っている。
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16位
吉田松陰誕生地
後に明治維新で活躍する多数の門下生を輩出したことで有名な「松下村塾」の指導者・吉田松陰の誕生地。団子岩と呼ばれる風光明媚な高台から萩市内を一望できる。敷地内に現存する建物は残っていないが大正時代に設置した屋敷の間取りを示す敷石が残っており、松陰が19歳頃までを過ごした空気を感じることが可能だ。誕生地そばには吉田松陰・金子重輔の銅像や松下村塾の門下生・山県有朋による石碑などが建っている。
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17位
久坂玄瑞誕生地
高杉晋作と並んで「松下村塾の双璧」と称された幕末の志士・久坂玄瑞の旧宅跡。かんきつ公園や旧田中別邸にも近い城下町の一画に、追悼の和歌を刻んだ石碑が建っている。天保11年(1840)に生を受けた久坂玄瑞は松下村塾を主宰した吉田松陰から「防長年少第一流の才気ある男」と絶賛された人物。享年25歳という若さで自刃するも、藩論を尊王攘夷にした存在として有名だ。石碑から徒歩5分ほどの場所にある中央公園には、勇ましく凛々しい姿の久坂玄瑞進撃像が立っている。
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18位
周防国衙跡
国衙(こくが)とは7世紀後半頃から国司と呼ばれる役人が政務を行った役所のこと。平安時代以降、律令体制の変質と衰退に伴い移転縮小した国府が多い中、周防国府は鎌倉時代以降も多くの期間、東大寺の管理となって近世まで存在したといわれている。国衙の中心的建物があったと推測される国庁域、港が設けられていたと考えられる浜ノ宮地区、国府域の四隅、国府域の西限と推定される大樋土手は、全国の国府跡の中で最も早く国史跡の指定を受けた地域。政庁があったと推定される場所は現在公園として整備されている。
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19位
国木田独歩旧宅
明治の文豪、国木田独歩が青年時代の数年間を過ごした屋敷。明治25年から27年(1892-1894)、20代の多感な時代を過ごしたと言われている。屋敷内には胸像や月琴、直筆の日記など独歩ゆかりの品が展示されており、外からであれば見学が可能。「少年の悲哀」や「帰去来」など柳井をテーマにした作品は多数あるが、短編小説「少年の悲哀」は、独歩がこの地で暮らしていた時代を題材にしたものと言われている。
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20位
柳と井戸(湘江庵)
柳井の地名発祥の地とされる柳の木と井戸。今からおよそ1400年前、後の用明天皇に召された般若姫が上洛する際に遭難し、井戸の清水を飲んで一命をとりとめたという伝説が残る場所だ。お礼に刺した柳の楊枝が一夜にして芽を吹き、柳の巨木になったという言い伝えから「楊井」の地名が生まれ、江戸時代に「柳井」へ改められた。現在の柳は5代目の木。井戸の清水を飲めば美人になれるとも言い伝えられている。
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