その他の史跡/建造物・東北ランキングRANKING
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1位
宗教法人石應禅寺 釜石大観音
亡くなった方々への鎮魂と現世を生きる人の希望として、釜石のシンボル的存在である「釜石大観音」。七福神を参拝しながら胎内を巡り、展望台からの釜石湾の眺めを堪能しつつ、平和と幸福を願おう。
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2位
瑞鳳殿
瑞鳳殿は、1636年(寛永13)に70才で亡くなった仙台藩初代藩主・伊達政宗(だてまさむね)が眠る霊屋。敷地には、瑞鳳殿のほかに2代藩主・忠宗(ただむね)、3代藩主・綱宗(つなむね)の霊屋や資料館などもある。
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3位
新郷村 キリストの墓
青森県三戸郡、キリストの里公園内の史跡。昭和10年(1935)に皇祖皇太神宮の古文書「竹内文書」に「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが実は密かに日本にわたっていた」との記述が見つかり、竹内氏自ら新郷村を訪れ発見したのがキリストの墓とされている。翌年にはキリストの遺書が発見されるなど、大きな注目を集めた。向かって右側がキリストの墓である「十来塚」、左側が弟イスキリの「十代墓」とされている。
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4位
石造十六羅漢
盛岡市茶畑2丁目の「らかん児童公園」内にある石仏。江戸時代の度重なる飢饉により犠牲となった餓死者たちを供養するため、五智如来を含む合計21体が江戸後期に建立された。寺院は明治期に焼失。市の有形文化財に指定されている。
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5位
御所野縄文公園
世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産のひとつである「御所野遺跡」。一帯は御所野縄文公園として整備され、竪穴建物や遺構などを復元した空間が広がる。
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6位
仙台市縄文の森広場
東北自動車道「仙台南IC」から国道286号線を仙台市内中心部方面へ約4km。触れて感じる縄文文化をテーマに作られた、山田上ノ台遺跡を保存・活用するための施設。約4000年前の大きな縄文ムラの跡に竪穴住居や貯蔵穴、広場や森などを復元して、縄文時代の集落を周囲の環境とともに再現している。広場では土器や石器作り、火起こし体験、勾玉作りなどの「縄文ワクワク体験」を行っている。縄文時代の祭の再現など様々なイベントもある。
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7位
多賀城政庁跡
JR東北本線国府多賀城駅より徒歩15分。奈良・平安時代の東北の政治の中心地だったところ。奈良県の平城京跡、福岡県の大宰府跡と共に日本三大史跡の一つで、国の特別史跡となっている。多賀城政庁跡は古代多賀城の中枢部分で、重要な政務や儀式が執り行われた場所であった。春に咲く政庁跡の桜はなかなか見応えがあり、隠れたお花見スポットとなっている。特に、政庁中央部の正殿前にある2本の桜の古木は風情があり、訪れた人々の心を和ませている。
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8位
秋田城跡 史跡公園
「秋田城」の跡地から発掘された遺構を現地へ復元し、整備した城跡公園。敷地内には、政庁や東門、古代水洗トイレなども復元されている。要予約で、ボランティアガイドが付く散策も可能となっている。出土遺物は、近隣にある「秋田城跡歴史資料館」に展示されており、木簡や墨書土器など貴重な品を鑑賞することができる。
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9位
旧堀切邸
福島市飯坂町東滝ノ町にある歴史的建造物。地域経済に多大な貢献を果たした地元の庄屋・堀切家の旧宅を補修・復原したもの。安永4年(1775)建築の県内に現存する最古の土蔵「十間蔵」をはじめとした貴重な建築に加え、新築された建物内には展示スペースや観光案内所、イベントスペースも備える。併設の足湯・手湯施設では、庭園を眺めながら源泉かけ流しの湯で温まれる。
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10位
五百羅漢
自然の岩を利用して作られた五百羅漢像。約200年ほど前、東北を襲った飢饉で亡くなった人々を供養するため、大慈寺の義山和尚が数年がかりで彫り上げたもの。開けた森の中に、大小さまざまな花崗岩が置かれており、それぞれに羅漢の姿が筋掘りで描かれている。年を経て全体に苔むしており、自然と一体化した独特の風景を作り上げている。現地へは、愛宕神社脇から山道を登るルートのほか、車で乗り入れる方法もある。
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11位
ダンノハナ
遠野市出身の民話研究家佐々木喜善の生家からほど近い場所に広がる地域。現在は丘の上に共同墓地があり、喜善の墓もここに作られている。「遠野物語」によればかつて墓地を発掘した際に大きな瓶が出土したが、村の老人達の怒りを買ってしまい埋め戻したという。またダンノハナは「壇の塙」とされ、村の老人達が末期に訪れる「デンデラ野」で死んだ者達のための墓所だったとも言われる。
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12位
キツネの関所
遠野の町外れにはキツネの彫られた石碑がいくつかあり、小烏瀬川と国道340号線に挟まれた通りにもひとつ置かれている。ある日この近くを男性が通りかかると、娘に化けたキツネに騙されたという伝承がある。石碑にはその言い伝えを残す案内板もあり、昔話の風情を直に感じることができる。また石碑の場所が田園地帯を望む小高い丘の上にあるため見晴らしがよく、遠くに見える山並みと相まって景観がよいのも魅力である。
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13位
豊田館跡
国道456号線と県道156号線の交差点に位置する史跡公園。ここには奥州藤原氏の祖、藤原経清が築城した居城があったと言われている。城の規模や築城時期、構造などは不明瞭であるが、この地から中国産の白磁四耳壺などの遺物が出土している。この居城で奥州藤原氏の初代当主藤原清衡が誕生し、彼が平泉に移住してからも政庁的な役割を担っていたとされる。現在は城址碑や清衡が浸かった産湯の泉、前九年の役の後に処刑された清衡の父経清一族の墳丘墓などの遺構が残る。
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14位
北緯40度 シンボル塔
黒崎園地内、国民宿舎くろさき荘から徒歩1分のところにある「北緯40度の地球村・普代」のシンボル。高さ4mの地球儀型のモニュメントで、正面に立つとセンサーが気配をキャッチし、地球が自動的にくるくると回りながら訪れる人たちを歓迎してくれる。動力は太陽の光エネルギーで、遥かな海や周辺の自然の力を感じさせる。青い海と青い地球のフォトジェニックなスポットとしてもおすすめ。
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15位
高村山荘
JR「花巻駅」より車で約20分のところにある山荘。「高村光太郎記念館」に隣接しており、高村光太郎が昭和20年(1945)から7年を過ごした場所である。高村を敬慕する村人たちが持ち寄った木で建てられた、二重の套屋によって保護されている。山荘は土間を含めて15畳程度の広さであり、冬には雪が吹き込むほど荒いつくり。厠の戸にある「光」という文字の明かり取りや、高村の自画像など、高村が生活していた当時のまま保存されている。
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16位
津波遺構 たろう観光ホテル
三陸鉄道リアス線「田老駅」より徒歩約20分。東日本大震災で高さ17mを超えるとも言われる津波の被害を受けた施設。4階まで浸水し2階までは柱を残して流失したものの倒壊を免れた建物は、甚大な被害の記憶を風化させることなく後世に伝えるための「津波遺構」として保存されている。宮古観光文化交流協会の「学ぶ防災ガイド」に参加することで館内の見学が可能で、震災当日に同ホテルで撮影された津波の映像を見ることもできる。
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17位
宮沢賢治歌碑
東北自動車道「盛岡南IC」より車で約130分、奥浄土ヶ浜バス停より徒歩約1分。浄土ヶ浜レストハウス前に建てられた花巻市出身の宮沢賢治の歌碑で、県内に数多くある碑のひとつ。平成8年(1996)10月に宮沢賢治の生誕百年を記念して造られたもので、大正6年(1917)7月に花巻町東海岸視察団に加わり浄土ヶ浜を訪れた際に詠んだ「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかれぬ」の句が刻まれている。
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18位
大慈清水御休み処
盛岡市鉈屋町にある休憩施設。地域に残る盛岡町家の建物の保存活用の一環として運営されているもので、吹き抜け構造や、神棚を祀った「常居(じょい)」と呼ばれる居間などが特徴の町家を見学できる。また、旅行者への観光案内所や喫茶、レンタルスペースもあり、散策の一休みにぴったりだ。
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19位
観自在王院跡
西磐井郡平泉町平泉志羅山の毛越寺通りにある遺跡。奥州藤原氏の2代目・基衡の妻によって建立されたと伝わる寺院の跡である。伽藍はすべて消失しているが、発掘調査の結果に基づき浄土庭園の遺構を中心に修復が行われた。ユネスコの世界遺産「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の構成資産の1つ。
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20位
振袖地蔵
刈田郡七ヶ宿町滑津のみちのくおとぎ街道沿いにある地蔵。参勤交代の道中、同地で美しい娘を見初めた秋田藩の殿様が、後にその娘の死を知り供養のために建てたと伝わる。振り袖を着た独特な造形から振袖地蔵と呼ばれている。
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21位
大黒天
刈田郡蔵王町遠刈田温泉倉石岳国有林地内の蔵王エコーライン沿い、標高1432mに位置する地点。大黒天の小さな石像が祀られ、石碑群が並んでいる。刈田岳山頂へと続く登山道の入り口ともなっている。
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22位
林子平の墓
仙台市青葉区子平町の龍雲院境内にある墓。江戸後期に「海国兵談」などを著し国防の重要性を説くも、江戸幕府から禁錮刑に処せられた経世家・林子平が葬られている。国の史跡にも指定されている。
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23位
多賀城廃寺跡
多賀城市高崎3丁目にある史跡。多賀城と同時に創建された付属寺院の遺構を保存する史跡公園として整備されている。周辺地域からの出土品などから「観世音寺」という名の寺であった可能性が高く、伽藍の配置も太宰府の観世音寺と類似点が多い。
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24位
多賀城碑(壷碑)
多賀城市市川字田屋場にある石碑。平城京までの距離や多賀城の創建などについて彫られた奈良時代の古碑である。歌枕として使われた「壷碑(つぼのいしぶみ)」と同一のものとされ、松尾芭蕉の「奥の細道」にも記述がある。
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25位
宮沢遺跡
大崎市古川宮沢愛宕山にある遺跡。奈良時代から平安時代に築かれた城柵や「官衙(かんが)」と呼ばれた官庁などの遺跡で、東西に1400m、南北に850mという大規模なものである。東北自動車道建設に伴う発掘調査で発見され、現在は国の史跡に指定。愛宕山地区は史跡公園として整備されている。
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26位
壽丸屋敷
街の中心部に位置する商家の屋敷。明治中期から大正にかけて建築された。店蔵や母屋、金庫蔵は江戸東京文化圏に属する豪商に見られる形態で、その屋敷構えをよく保っている例は全国的にも多くない。きわめて価値のある文化遺産として高く評価されている建築物だ。門をくぐれば四季折々の樹木や草木が丁寧に整備されており、明治から大正の古き良き時代にタイムスリップしたかのような風情を感じることができる。現在は貸しスペースとして使われており、落語や芝居、ミニライブに写真展など幅広いジャンルのイベントを開催している。
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27位
田沢湖金色大観音
昭和62年(1987)に地域の人々の開運招運を願って造られた観音像。高さ35mと、鋳造製の観音像としては日本一の規模を誇る。台座内は三十三観音堂や曼荼羅宮を備えた「観音資料館」となっており、像の周囲には七福神像や四国霊場八十八ヶ所のお砂踏みなどのスポットがある。
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28位
忠犬ハチ公像
大館市御成町1丁目の観光施設「秋田犬の里」入り口にある銅像。忠犬ハチ公が大館の生まれであることから昭和10年(1935)に設置されたが、戦中の金属類回収令により失われた。現在の像は昭和62年(1987)に再建されたもので、大館駅前広場のシンボルとして親しまれていたが、「秋田犬の里」のオープンに伴い施設前に移設された。
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29位
史跡 払田柵跡
国家がこの地の統一を進めるために造った、役所と軍事・儀式の役割を持ったといわれている遺跡。平安時代の始め頃(約1200年前)のものとされる。古文書などには記述が見られず、歴史上の名称が未だ解明されていないなど、多くの謎を秘めた遺跡としても有名だ。予約制でガイド付きの歴史散策も楽しめる。
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30位
史跡 亀ヶ岡石器時代遺跡
縄文時代晩期(紀元前1000年-紀元前300年頃)の低湿地を伴う集落遺跡。出土した土器や土偶に代表される縄文時代晩期の優れた物質文化は「亀ヶ岡文化」と呼ばれ、その名称の由来となった遺跡だ。その眼部の表現が「遮光器土偶」の名称の起こりとなったことで知られる「左脚を欠いた大型土偶」は国の重要文化財にも指定されている。
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8位
秋田城跡 史跡公園
「秋田城」の跡地から発掘された遺構を現地へ復元し、整備した城跡公園。敷地内には、政庁や東門、古代水洗トイレなども復元されている。要予約で、ボランティアガイドが付く散策も可能となっている。出土遺物は、近隣にある「秋田城跡歴史資料館」に展示されており、木簡や墨書土器など貴重な品を鑑賞することができる。
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9位
旧堀切邸
福島市飯坂町東滝ノ町にある歴史的建造物。地域経済に多大な貢献を果たした地元の庄屋・堀切家の旧宅を補修・復原したもの。安永4年(1775)建築の県内に現存する最古の土蔵「十間蔵」をはじめとした貴重な建築に加え、新築された建物内には展示スペースや観光案内所、イベントスペースも備える。併設の足湯・手湯施設では、庭園を眺めながら源泉かけ流しの湯で温まれる。
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10位
五百羅漢
自然の岩を利用して作られた五百羅漢像。約200年ほど前、東北を襲った飢饉で亡くなった人々を供養するため、大慈寺の義山和尚が数年がかりで彫り上げたもの。開けた森の中に、大小さまざまな花崗岩が置かれており、それぞれに羅漢の姿が筋掘りで描かれている。年を経て全体に苔むしており、自然と一体化した独特の風景を作り上げている。現地へは、愛宕神社脇から山道を登るルートのほか、車で乗り入れる方法もある。
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11位
ダンノハナ
遠野市出身の民話研究家佐々木喜善の生家からほど近い場所に広がる地域。現在は丘の上に共同墓地があり、喜善の墓もここに作られている。「遠野物語」によればかつて墓地を発掘した際に大きな瓶が出土したが、村の老人達の怒りを買ってしまい埋め戻したという。またダンノハナは「壇の塙」とされ、村の老人達が末期に訪れる「デンデラ野」で死んだ者達のための墓所だったとも言われる。
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12位
キツネの関所
遠野の町外れにはキツネの彫られた石碑がいくつかあり、小烏瀬川と国道340号線に挟まれた通りにもひとつ置かれている。ある日この近くを男性が通りかかると、娘に化けたキツネに騙されたという伝承がある。石碑にはその言い伝えを残す案内板もあり、昔話の風情を直に感じることができる。また石碑の場所が田園地帯を望む小高い丘の上にあるため見晴らしがよく、遠くに見える山並みと相まって景観がよいのも魅力である。
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13位
豊田館跡
国道456号線と県道156号線の交差点に位置する史跡公園。ここには奥州藤原氏の祖、藤原経清が築城した居城があったと言われている。城の規模や築城時期、構造などは不明瞭であるが、この地から中国産の白磁四耳壺などの遺物が出土している。この居城で奥州藤原氏の初代当主藤原清衡が誕生し、彼が平泉に移住してからも政庁的な役割を担っていたとされる。現在は城址碑や清衡が浸かった産湯の泉、前九年の役の後に処刑された清衡の父経清一族の墳丘墓などの遺構が残る。
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14位
北緯40度 シンボル塔
黒崎園地内、国民宿舎くろさき荘から徒歩1分のところにある「北緯40度の地球村・普代」のシンボル。高さ4mの地球儀型のモニュメントで、正面に立つとセンサーが気配をキャッチし、地球が自動的にくるくると回りながら訪れる人たちを歓迎してくれる。動力は太陽の光エネルギーで、遥かな海や周辺の自然の力を感じさせる。青い海と青い地球のフォトジェニックなスポットとしてもおすすめ。
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15位
高村山荘
JR「花巻駅」より車で約20分のところにある山荘。「高村光太郎記念館」に隣接しており、高村光太郎が昭和20年(1945)から7年を過ごした場所である。高村を敬慕する村人たちが持ち寄った木で建てられた、二重の套屋によって保護されている。山荘は土間を含めて15畳程度の広さであり、冬には雪が吹き込むほど荒いつくり。厠の戸にある「光」という文字の明かり取りや、高村の自画像など、高村が生活していた当時のまま保存されている。
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16位
津波遺構 たろう観光ホテル
三陸鉄道リアス線「田老駅」より徒歩約20分。東日本大震災で高さ17mを超えるとも言われる津波の被害を受けた施設。4階まで浸水し2階までは柱を残して流失したものの倒壊を免れた建物は、甚大な被害の記憶を風化させることなく後世に伝えるための「津波遺構」として保存されている。宮古観光文化交流協会の「学ぶ防災ガイド」に参加することで館内の見学が可能で、震災当日に同ホテルで撮影された津波の映像を見ることもできる。
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17位
宮沢賢治歌碑
東北自動車道「盛岡南IC」より車で約130分、奥浄土ヶ浜バス停より徒歩約1分。浄土ヶ浜レストハウス前に建てられた花巻市出身の宮沢賢治の歌碑で、県内に数多くある碑のひとつ。平成8年(1996)10月に宮沢賢治の生誕百年を記念して造られたもので、大正6年(1917)7月に花巻町東海岸視察団に加わり浄土ヶ浜を訪れた際に詠んだ「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかれぬ」の句が刻まれている。
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18位
大慈清水御休み処
盛岡市鉈屋町にある休憩施設。地域に残る盛岡町家の建物の保存活用の一環として運営されているもので、吹き抜け構造や、神棚を祀った「常居(じょい)」と呼ばれる居間などが特徴の町家を見学できる。また、旅行者への観光案内所や喫茶、レンタルスペースもあり、散策の一休みにぴったりだ。
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19位
観自在王院跡
西磐井郡平泉町平泉志羅山の毛越寺通りにある遺跡。奥州藤原氏の2代目・基衡の妻によって建立されたと伝わる寺院の跡である。伽藍はすべて消失しているが、発掘調査の結果に基づき浄土庭園の遺構を中心に修復が行われた。ユネスコの世界遺産「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の構成資産の1つ。
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20位
振袖地蔵
刈田郡七ヶ宿町滑津のみちのくおとぎ街道沿いにある地蔵。参勤交代の道中、同地で美しい娘を見初めた秋田藩の殿様が、後にその娘の死を知り供養のために建てたと伝わる。振り袖を着た独特な造形から振袖地蔵と呼ばれている。
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21位
大黒天
刈田郡蔵王町遠刈田温泉倉石岳国有林地内の蔵王エコーライン沿い、標高1432mに位置する地点。大黒天の小さな石像が祀られ、石碑群が並んでいる。刈田岳山頂へと続く登山道の入り口ともなっている。
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22位
林子平の墓
仙台市青葉区子平町の龍雲院境内にある墓。江戸後期に「海国兵談」などを著し国防の重要性を説くも、江戸幕府から禁錮刑に処せられた経世家・林子平が葬られている。国の史跡にも指定されている。
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23位
多賀城廃寺跡
多賀城市高崎3丁目にある史跡。多賀城と同時に創建された付属寺院の遺構を保存する史跡公園として整備されている。周辺地域からの出土品などから「観世音寺」という名の寺であった可能性が高く、伽藍の配置も太宰府の観世音寺と類似点が多い。
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24位
多賀城碑(壷碑)
多賀城市市川字田屋場にある石碑。平城京までの距離や多賀城の創建などについて彫られた奈良時代の古碑である。歌枕として使われた「壷碑(つぼのいしぶみ)」と同一のものとされ、松尾芭蕉の「奥の細道」にも記述がある。
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25位
宮沢遺跡
大崎市古川宮沢愛宕山にある遺跡。奈良時代から平安時代に築かれた城柵や「官衙(かんが)」と呼ばれた官庁などの遺跡で、東西に1400m、南北に850mという大規模なものである。東北自動車道建設に伴う発掘調査で発見され、現在は国の史跡に指定。愛宕山地区は史跡公園として整備されている。
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26位
壽丸屋敷
街の中心部に位置する商家の屋敷。明治中期から大正にかけて建築された。店蔵や母屋、金庫蔵は江戸東京文化圏に属する豪商に見られる形態で、その屋敷構えをよく保っている例は全国的にも多くない。きわめて価値のある文化遺産として高く評価されている建築物だ。門をくぐれば四季折々の樹木や草木が丁寧に整備されており、明治から大正の古き良き時代にタイムスリップしたかのような風情を感じることができる。現在は貸しスペースとして使われており、落語や芝居、ミニライブに写真展など幅広いジャンルのイベントを開催している。
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27位
田沢湖金色大観音
昭和62年(1987)に地域の人々の開運招運を願って造られた観音像。高さ35mと、鋳造製の観音像としては日本一の規模を誇る。台座内は三十三観音堂や曼荼羅宮を備えた「観音資料館」となっており、像の周囲には七福神像や四国霊場八十八ヶ所のお砂踏みなどのスポットがある。
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28位
忠犬ハチ公像
大館市御成町1丁目の観光施設「秋田犬の里」入り口にある銅像。忠犬ハチ公が大館の生まれであることから昭和10年(1935)に設置されたが、戦中の金属類回収令により失われた。現在の像は昭和62年(1987)に再建されたもので、大館駅前広場のシンボルとして親しまれていたが、「秋田犬の里」のオープンに伴い施設前に移設された。
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29位
史跡 払田柵跡
国家がこの地の統一を進めるために造った、役所と軍事・儀式の役割を持ったといわれている遺跡。平安時代の始め頃(約1200年前)のものとされる。古文書などには記述が見られず、歴史上の名称が未だ解明されていないなど、多くの謎を秘めた遺跡としても有名だ。予約制でガイド付きの歴史散策も楽しめる。
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30位
史跡 亀ヶ岡石器時代遺跡
縄文時代晩期(紀元前1000年-紀元前300年頃)の低湿地を伴う集落遺跡。出土した土器や土偶に代表される縄文時代晩期の優れた物質文化は「亀ヶ岡文化」と呼ばれ、その名称の由来となった遺跡だ。その眼部の表現が「遮光器土偶」の名称の起こりとなったことで知られる「左脚を欠いた大型土偶」は国の重要文化財にも指定されている。
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