その他の史跡/建造物・中部ランキングRANKING
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1位
史跡佐渡金山
1601年(慶長6)、3人の山師により開山したといわれる佐渡金山。徳川幕府直轄の天領として江戸幕府の財政を支えた。江戸時代の手掘り坑道を見られる宗太夫抗(そうだゆうこう)コースと、近代技術の進んだ機械掘りを見られる道遊坑(どうゆうこう)コースがあり、約400年間にわたり金の産出があった佐渡金山の技術を比べることができる。
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2位
史跡佐渡奉行所跡
行政・司法のほかに造幣所も兼ねた佐渡奉行所。「御役所(おやくしょ)」や「御白州(おしらす)」、採掘した鉱石から金を取り出す「寄勝場(よせせりば)」も復元されている。当時の面影を楽しめ、時代劇のなかにいるみたい!?
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3位
福島関所跡
福島関所は中山道にあった関所であり、東海道の箱根関所などと並ぶ、日本四大関所の一つである。江戸時代「入鉄砲出女」が厳しく取り締まられた。関所は門や柵が復元され史跡公園となっていて、関所通行に関する資料や武具などが展示された関所資料館が併設されている。
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4位
日下部民藝館
岐阜県高山市にある、元々幕府の御用商人として栄えた日下部家の邸宅。現在の建物は明治12年に建てられたもので、豪快に組み上げられた梁組みと広い土間が表す空間美は、江戸時代の技法を最大に生かした民家建築の集大成とも言える。一番の見どころは、当時300両かけて(現在の1億円の価値といわれる)作られた豪華絢爛な仏壇。明治8年の大火の際も運び出され、今に続くきらびやかなその姿は高山のパワースポットしても知られている。
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5位
名勝 養浩館庭園
養浩館(ようこうかん)庭園は、福井藩主・松平家の別邸跡だ。大きな池の周りには、数寄屋造りの屋敷や築山、石製の造形物などが緻密に配置され、美しい景色を織りなしている。園路を歩き、ゆっくりと観賞しよう。
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6位
高岡大仏
まちのシンボル的存在である高岡大仏。市民からは敬意を込めて「だいぶっつぁん」(『大仏様』を表す呼称)と呼ばれ、そのやさしい瞳は地上高くから慈愛の心で人々の暮らしを見守っている。
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7位
松本市歴史の里
信州の近代をテーマとし、江戸時代後期から昭和にかけての貴重な建物を集めた「たてもの野外博物館」。県宝旧長野地方裁判所松本支部庁舎は、明治41年(1908)に建造された裁判所であり、明治期を代表する近代和風建築の建物として県宝に指定されている。その他、旧昭和興業製糸場や木下尚江生家など、様々な種類の建物を見学できる。
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8位
新居関所史料館
慶長5年(1600)に徳川家康の命によって設けられた関所で、現在は国指定の特別史跡となっている。約100年もの年月、江戸幕府直轄の関所として入鉄砲と入り女を厳重に取り締まっていた。現在の建物は関所が廃止される10年程前に再建されたものとなっている。新居宿史跡案内人によるガイドは10日前までに予約が必要。
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9位
矢作ダム
愛知県豊田市閑羅瀬町と岐阜県恵那市串原をまたぐダム。矢作川上流に位置する放物線状のアーチ式コンクリートダムで、操作室や堤体内トンネルなどの見学(要予約)ができるほか、年に数回「矢作ダム放流会」も開催。ダム湖である奥矢作湖を中心とした周辺一帯では、桜や紅葉などの豊かな自然も楽しめる。
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10位
松平郷
江戸時代の将軍家として栄えた松平家発祥の地。豊田市松平町の、松平東照宮から高月院にかけての2ヘクタールほどのエリアが、歴史と自然の里「松平郷園地」として整備されている。園内の通りは室町期の歴史景観をよく残しており、当時の風情を楽しむことができる。ふるさと市場や歴史館などみどころも多い。武家屋敷風の休憩所「天下茶屋」があり、うどんやそば、天下もちなどを楽しむことができる。
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11位
笹尾山 石田三成陣跡
JR「関ケ原駅」から北へ徒歩25分。関ヶ原の戦いで西軍総大将・石田三成が陣を構えた地で、山頂には「石田三成陣跡」の碑が建っている。合戦時に敵の攻撃を防ぐために作られた「竹矢来」や「馬防柵」が復元され、決戦の地を眼下に見下ろせば当時にタイムスリップした気分が味わえる。近くには「笹尾山交流館」があり、休憩所や売店などが利用できる。関ケ原仕様の手づくり甲冑を着用して記念撮影や散策ができる「甲冑体験」も人気。
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12位
美しの塔
ビーナスラインの終点、標高約2000mの高原台地に広がる美ヶ原高原のシンボル。360度のパノラマ眺望が広がる美ヶ原高原は霧の発生が多く、遭難する登山者も後を絶たなかったため、その対策のひとつとして霧鐘を備えた避難塔「美しの塔」が建てられた。高原の中央にそびえる高さ6mもの塔は、日本一大きな文学碑だ。南面には美ヶ原を愛した詩人・尾崎喜八の詩文が、北面には美ヶ原の登山道を整備した功労者・山本俊一翁の顔のレリーフが埋め込まれている。
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13位
古戦場公園
東部丘陵線(リニモ)「長久手古戦場駅」から徒歩約3分。国指定文化財に登録された、小牧・長久手の戦いにおける主戦場跡地(長久手古戦場)に整備された歴史公園。羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と徳川家康の最後の決戦地であるこの場所には、縮景の手法で古戦場を模した広場や、秀吉方の武将の塚などがある。「日本の歴史公園100選」にも選ばれ、毎年4月上旬には「長久手古戦場桜まつり」が開かれる。
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14位
長久手古戦場
東部丘陵線(リニモ)「長久手古戦場駅」から徒歩約3分。1584年に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と徳川家康が激烈な戦いを繰り広げた「小牧・長久手の戦い」の主戦場跡地。同年4月9日、家康の勝利に終わった最後の合戦が行われた場所で、国の史跡に指定されている。この地で戦死した秀吉方の武将、池田恒興(勝入)・元助父子を悼む塚(国指定史跡)などが残されており、現在は「古戦場公園」として整備されている。
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15位
芭蕉の句碑
東名高速道路「豊川IC」から車で約90分。伊良湖シーサイドゴルフ倶楽部の入口近くにある石造りの句碑。1687年11月、松尾芭蕉が保美の里に隠棲していた愛弟子の杜国を訪ね、伊良湖岬を清遊した時に詠んだ句「鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎」が刻まれている。芭蕉の来訪から約百年の後、杜国の没後百年忌に地元の俳人によって追善俳諧が開かれ、更にその4年後の1793年に来訪を記念して建立されたもの。
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16位
万葉の歌碑
東名高速道路「豊川IC」から車で約90分。伊良湖岬の先端、灯台の背後にある古山の斜面に建つ歌碑。昭和36年(1961)に建てられたもので、万葉集巻一に収録された「うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良湖の島の玉藻刈り食す」の歌が鈴木翠軒の揮毫によって刻まれている。この歌は伊良湖に流された麻績王(おみのおおきみ)が詠んだものとされていたが、現在の研究ではその姿を目にした里人が詠んだもの(作者不詳)とされている。
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17位
桶狭間古戦場伝説地
豊明市栄町南舘にある国指定史跡。1560年、今川義元の軍勢を織田信長が破った「桶狭間の戦い」の際、織田軍が攻め入った今川軍本陣が置かれていた場所として伝わっており、今川義元が戦死した場所を示す石碑などが残されている。
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18位
今川義元公本陣跡
豊明市栄町南舘の高徳院境内にある石碑。1560年、織田信長が今川義元を破った「桶狭間の戦い」において今川軍が本陣を敷いたと伝わる国指定史跡「桶狭間古戦場伝説地」の向かい側に建立されている。
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19位
明智城跡
可児市は戦国時代に天下統一を目指した織田信長を本能寺の変で倒し、時代の流れを変えた武将・明智光秀の生誕の地。その光秀が落城するまでの約30年間を過ごしたのがこの「明智城」だ。康永元年(1342)に築城された典型的な中世の山城で、当時の遺構はほとんど残っておらず、現在は遊歩道が整備されたハイキングコースとなっている。麓の天龍寺には明智氏歴代の墓所があり、毎年6月には「光秀供養祭」が行われている。
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20位
黄金の織田信長公像
JR岐阜駅の駅前広場にそびえ立つ金箔3層張りの信長公像。岐阜市制120周年を記念し、平成21年(2009)に「信長公の銅像を贈る会」により設置された。8メートルもの高さがある台座の上に約3メートルもの像が建っており、離れた場所からもその姿を眺めることができる。右手に種子島(鉄砲)、左手に西洋兜を持って前を見据える姿は、常に時代の最先端を歩き、変革を目指していた信長公の姿を象徴するものだ。岐阜駅を出た多くの来訪者を迎える意味を込め、駅北口の中央出入口に向けて設置されている。
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21位
川上別邸史跡公園
JR高山駅から徒歩25分ほどの距離にある史跡公園。元々は飛騨高山藩3代藩主・金森重頼の弟が住む屋敷があった場所で、その後町年寄の川上斉右衛門の別邸となった。園内は市指定文化財にも登録されており、常時立ち入りが可能。宗和流茶道始祖宗和の雰囲気を持つ厳かな空間には、天保13年(1842)に建てられた総ケヤキ造りの稲荷社や、江戸後期の建築とされる土蔵などが現存している。
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22位
船町港跡と住吉燈台
大垣と桑名を結ぶ輸送経路として、昭和初期には年間1万もの船が行き来していたと言われる港跡。俳人・松尾芭蕉が紀行文学の傑作「奥の細道」の旅を終え伊勢に向かって船出をした場所としても知られている。奥の細道に書き留めた風景は人々の風景観に影響を与え続け、今なお往時の雰囲気と遺風を伝えていることから国指定名勝に登録された。付近には標識として江戸時代後期に建てられた住吉燈台が現存しているほか、水門川沿いが「四季の路」として整備されている。
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23位
床几場 徳川家康最後陣跡
不破郡関ケ原町関ケ原の「陣場野公園」内にある史跡。1600年に起こった関ヶ原の戦いの際、徳川家康が桃配山(現在の国史跡「徳川家康最初陣地」)から陣地を移動させた場所で、西軍から寝返った小早川秀秋への伝令もここから発せられたと伝わる。
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24位
不破関跡
不破郡関ケ原町松尾にある史跡。672年に起こった「壬申の乱」の翌年、天武天皇によって設置された。伊勢の鈴鹿関、越前の愛発関とともに、律令国家における重要な関所「三関」に数えられた。近隣にある「不破関資料館」で出土品などの資料展示を行っている。
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25位
竹中氏陣屋跡
不破郡垂井町岩手の県道257号線沿いにある史跡。豊臣秀吉の軍師として知られた竹中半兵衛の居城跡で、半兵衛の死後に嫡男の重門によって陣屋が築かれた。現在は櫓門や掘、石垣が残されている。
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26位
勝沼氏館跡
甲州市勝沼町勝沼の県道34号線沿いにある史跡。武田信玄の叔父にあたる勝沼信友と子の信元の館跡で、隣接する県立ワインセンター建設の際に発見された。堀や建物跡、水路などが残されており、国の史跡に指定されている。
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27位
武田信玄公像
甲府市丸の内、甲府駅南口にある銅像。県内外の有志からの寄付を元に建設が開始され、昭和44年(1969)に完成。床几に腰掛け軍配を握った武田信玄の姿は、上杉謙信との「川中島の戦い」の際の陣中での姿を模している。
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28位
武田信玄公墓所
甲府市岩窪町にある墓所。1573年に病没した武田信玄の遺言によりその死を伏せていた3年間、信玄が葬られていた場所とされる。火葬を行った場所でもあることから「火葬塚」とも呼ばれる。後に葬礼が行われた同市塩山小屋敷の恵林寺などにも信玄の墓が存在する。
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29位
大河津分水桜並木
越後平野に壊滅的な被害を与えないために、増水した水の一部を日本海へ流すことを目的に作られた堤防。最も日本海に近く東へ大きく向きを変えるこの場所で大正11年(1922)に完成した。周囲には完成前から桜の植樹が始まっており、今でも新潟を代表する桜の名所として有名だ。見頃の時期にはライトアップも行われ、夜桜を楽しむこともできる。10月~3月にかけては1000羽以上の白鳥の群れが飛来することもある。
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30位
尾瀬三郎像
奥只見湖西端の丘にそびえる立像。平安時代、御妃をめぐる平清盛との恋の鞘当てから都を追われ、ここ魚沼市(旧・湯之谷村)で最期を遂げた尾瀬中納言三郎房利を祀っている。都を去る際、御妃から渡された虚空蔵菩薩像を生涯肌身離さず持っていたことから、菩薩を抱えた姿で建てられた。毎年7月下旬には供養祭が行われ、花火の打ち上げや灯篭流し、盆踊りなどが催される。漆黒の湖面に映る花火は悲しい恋物語を偲ぶ幻想的な光景だ。
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8位
新居関所史料館
慶長5年(1600)に徳川家康の命によって設けられた関所で、現在は国指定の特別史跡となっている。約100年もの年月、江戸幕府直轄の関所として入鉄砲と入り女を厳重に取り締まっていた。現在の建物は関所が廃止される10年程前に再建されたものとなっている。新居宿史跡案内人によるガイドは10日前までに予約が必要。
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9位
矢作ダム
愛知県豊田市閑羅瀬町と岐阜県恵那市串原をまたぐダム。矢作川上流に位置する放物線状のアーチ式コンクリートダムで、操作室や堤体内トンネルなどの見学(要予約)ができるほか、年に数回「矢作ダム放流会」も開催。ダム湖である奥矢作湖を中心とした周辺一帯では、桜や紅葉などの豊かな自然も楽しめる。
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10位
松平郷
江戸時代の将軍家として栄えた松平家発祥の地。豊田市松平町の、松平東照宮から高月院にかけての2ヘクタールほどのエリアが、歴史と自然の里「松平郷園地」として整備されている。園内の通りは室町期の歴史景観をよく残しており、当時の風情を楽しむことができる。ふるさと市場や歴史館などみどころも多い。武家屋敷風の休憩所「天下茶屋」があり、うどんやそば、天下もちなどを楽しむことができる。
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11位
笹尾山 石田三成陣跡
JR「関ケ原駅」から北へ徒歩25分。関ヶ原の戦いで西軍総大将・石田三成が陣を構えた地で、山頂には「石田三成陣跡」の碑が建っている。合戦時に敵の攻撃を防ぐために作られた「竹矢来」や「馬防柵」が復元され、決戦の地を眼下に見下ろせば当時にタイムスリップした気分が味わえる。近くには「笹尾山交流館」があり、休憩所や売店などが利用できる。関ケ原仕様の手づくり甲冑を着用して記念撮影や散策ができる「甲冑体験」も人気。
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12位
美しの塔
ビーナスラインの終点、標高約2000mの高原台地に広がる美ヶ原高原のシンボル。360度のパノラマ眺望が広がる美ヶ原高原は霧の発生が多く、遭難する登山者も後を絶たなかったため、その対策のひとつとして霧鐘を備えた避難塔「美しの塔」が建てられた。高原の中央にそびえる高さ6mもの塔は、日本一大きな文学碑だ。南面には美ヶ原を愛した詩人・尾崎喜八の詩文が、北面には美ヶ原の登山道を整備した功労者・山本俊一翁の顔のレリーフが埋め込まれている。
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13位
古戦場公園
東部丘陵線(リニモ)「長久手古戦場駅」から徒歩約3分。国指定文化財に登録された、小牧・長久手の戦いにおける主戦場跡地(長久手古戦場)に整備された歴史公園。羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と徳川家康の最後の決戦地であるこの場所には、縮景の手法で古戦場を模した広場や、秀吉方の武将の塚などがある。「日本の歴史公園100選」にも選ばれ、毎年4月上旬には「長久手古戦場桜まつり」が開かれる。
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14位
長久手古戦場
東部丘陵線(リニモ)「長久手古戦場駅」から徒歩約3分。1584年に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と徳川家康が激烈な戦いを繰り広げた「小牧・長久手の戦い」の主戦場跡地。同年4月9日、家康の勝利に終わった最後の合戦が行われた場所で、国の史跡に指定されている。この地で戦死した秀吉方の武将、池田恒興(勝入)・元助父子を悼む塚(国指定史跡)などが残されており、現在は「古戦場公園」として整備されている。
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15位
芭蕉の句碑
東名高速道路「豊川IC」から車で約90分。伊良湖シーサイドゴルフ倶楽部の入口近くにある石造りの句碑。1687年11月、松尾芭蕉が保美の里に隠棲していた愛弟子の杜国を訪ね、伊良湖岬を清遊した時に詠んだ句「鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎」が刻まれている。芭蕉の来訪から約百年の後、杜国の没後百年忌に地元の俳人によって追善俳諧が開かれ、更にその4年後の1793年に来訪を記念して建立されたもの。
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16位
万葉の歌碑
東名高速道路「豊川IC」から車で約90分。伊良湖岬の先端、灯台の背後にある古山の斜面に建つ歌碑。昭和36年(1961)に建てられたもので、万葉集巻一に収録された「うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良湖の島の玉藻刈り食す」の歌が鈴木翠軒の揮毫によって刻まれている。この歌は伊良湖に流された麻績王(おみのおおきみ)が詠んだものとされていたが、現在の研究ではその姿を目にした里人が詠んだもの(作者不詳)とされている。
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17位
桶狭間古戦場伝説地
豊明市栄町南舘にある国指定史跡。1560年、今川義元の軍勢を織田信長が破った「桶狭間の戦い」の際、織田軍が攻め入った今川軍本陣が置かれていた場所として伝わっており、今川義元が戦死した場所を示す石碑などが残されている。
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18位
今川義元公本陣跡
豊明市栄町南舘の高徳院境内にある石碑。1560年、織田信長が今川義元を破った「桶狭間の戦い」において今川軍が本陣を敷いたと伝わる国指定史跡「桶狭間古戦場伝説地」の向かい側に建立されている。
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19位
明智城跡
可児市は戦国時代に天下統一を目指した織田信長を本能寺の変で倒し、時代の流れを変えた武将・明智光秀の生誕の地。その光秀が落城するまでの約30年間を過ごしたのがこの「明智城」だ。康永元年(1342)に築城された典型的な中世の山城で、当時の遺構はほとんど残っておらず、現在は遊歩道が整備されたハイキングコースとなっている。麓の天龍寺には明智氏歴代の墓所があり、毎年6月には「光秀供養祭」が行われている。
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20位
黄金の織田信長公像
JR岐阜駅の駅前広場にそびえ立つ金箔3層張りの信長公像。岐阜市制120周年を記念し、平成21年(2009)に「信長公の銅像を贈る会」により設置された。8メートルもの高さがある台座の上に約3メートルもの像が建っており、離れた場所からもその姿を眺めることができる。右手に種子島(鉄砲)、左手に西洋兜を持って前を見据える姿は、常に時代の最先端を歩き、変革を目指していた信長公の姿を象徴するものだ。岐阜駅を出た多くの来訪者を迎える意味を込め、駅北口の中央出入口に向けて設置されている。
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21位
川上別邸史跡公園
JR高山駅から徒歩25分ほどの距離にある史跡公園。元々は飛騨高山藩3代藩主・金森重頼の弟が住む屋敷があった場所で、その後町年寄の川上斉右衛門の別邸となった。園内は市指定文化財にも登録されており、常時立ち入りが可能。宗和流茶道始祖宗和の雰囲気を持つ厳かな空間には、天保13年(1842)に建てられた総ケヤキ造りの稲荷社や、江戸後期の建築とされる土蔵などが現存している。
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22位
船町港跡と住吉燈台
大垣と桑名を結ぶ輸送経路として、昭和初期には年間1万もの船が行き来していたと言われる港跡。俳人・松尾芭蕉が紀行文学の傑作「奥の細道」の旅を終え伊勢に向かって船出をした場所としても知られている。奥の細道に書き留めた風景は人々の風景観に影響を与え続け、今なお往時の雰囲気と遺風を伝えていることから国指定名勝に登録された。付近には標識として江戸時代後期に建てられた住吉燈台が現存しているほか、水門川沿いが「四季の路」として整備されている。
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23位
床几場 徳川家康最後陣跡
不破郡関ケ原町関ケ原の「陣場野公園」内にある史跡。1600年に起こった関ヶ原の戦いの際、徳川家康が桃配山(現在の国史跡「徳川家康最初陣地」)から陣地を移動させた場所で、西軍から寝返った小早川秀秋への伝令もここから発せられたと伝わる。
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24位
不破関跡
不破郡関ケ原町松尾にある史跡。672年に起こった「壬申の乱」の翌年、天武天皇によって設置された。伊勢の鈴鹿関、越前の愛発関とともに、律令国家における重要な関所「三関」に数えられた。近隣にある「不破関資料館」で出土品などの資料展示を行っている。
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25位
竹中氏陣屋跡
不破郡垂井町岩手の県道257号線沿いにある史跡。豊臣秀吉の軍師として知られた竹中半兵衛の居城跡で、半兵衛の死後に嫡男の重門によって陣屋が築かれた。現在は櫓門や掘、石垣が残されている。
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26位
勝沼氏館跡
甲州市勝沼町勝沼の県道34号線沿いにある史跡。武田信玄の叔父にあたる勝沼信友と子の信元の館跡で、隣接する県立ワインセンター建設の際に発見された。堀や建物跡、水路などが残されており、国の史跡に指定されている。
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27位
武田信玄公像
甲府市丸の内、甲府駅南口にある銅像。県内外の有志からの寄付を元に建設が開始され、昭和44年(1969)に完成。床几に腰掛け軍配を握った武田信玄の姿は、上杉謙信との「川中島の戦い」の際の陣中での姿を模している。
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28位
武田信玄公墓所
甲府市岩窪町にある墓所。1573年に病没した武田信玄の遺言によりその死を伏せていた3年間、信玄が葬られていた場所とされる。火葬を行った場所でもあることから「火葬塚」とも呼ばれる。後に葬礼が行われた同市塩山小屋敷の恵林寺などにも信玄の墓が存在する。
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29位
大河津分水桜並木
越後平野に壊滅的な被害を与えないために、増水した水の一部を日本海へ流すことを目的に作られた堤防。最も日本海に近く東へ大きく向きを変えるこの場所で大正11年(1922)に完成した。周囲には完成前から桜の植樹が始まっており、今でも新潟を代表する桜の名所として有名だ。見頃の時期にはライトアップも行われ、夜桜を楽しむこともできる。10月~3月にかけては1000羽以上の白鳥の群れが飛来することもある。
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30位
尾瀬三郎像
奥只見湖西端の丘にそびえる立像。平安時代、御妃をめぐる平清盛との恋の鞘当てから都を追われ、ここ魚沼市(旧・湯之谷村)で最期を遂げた尾瀬中納言三郎房利を祀っている。都を去る際、御妃から渡された虚空蔵菩薩像を生涯肌身離さず持っていたことから、菩薩を抱えた姿で建てられた。毎年7月下旬には供養祭が行われ、花火の打ち上げや灯篭流し、盆踊りなどが催される。漆黒の湖面に映る花火は悲しい恋物語を偲ぶ幻想的な光景だ。
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