その他の史跡/建造物・九州ランキングRANKING
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1位
出島(国指定史跡「出島和蘭商館跡」)
江戸時代に唯一、ヨーロッパとの貿易を許されていた出島。扇形の小さなこの島には蘭学と呼ばれた西洋の学問や、コーヒーや香辛料といった食文化などが持ち込まれた。当時の最先端が集まった人工島を散策しよう。
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2位
フルーツバス停
1990年(平成2)の長崎旅博覧会で「訪れる人をもてなそう」と小長井町が企画し、『シンデレラ』の馬車から着想を得てフルーツバス停を設置した。現在は諫早市内と山茶花高原方面に16基のフルーツモチーフのバス待合所があり、その可愛らしさは見る人を笑顔にするだろう。
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3位
平戸オランダ商館 1639年築造倉庫(復元)
17世紀の大航海時代、日本で最初の西洋貿易港としてポルトガルやイギリス、オランダとの交流が始まった平戸。東インド会社が設置したオランダ商館の倉庫を復元し、その歴史や役割、海外との交易についてさまざまな史料で解説する。
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4位
唐人屋敷跡
長崎市館内町にある史跡。江戸時代に中国と独占的に貿易を行っていた長崎で密貿易が増加したことから、幕府によって唐人が滞在するための屋敷が作られ、人の出入りが制限された。この内、現在4堂が修復、保存されている。
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5位
西郷隆盛銅像
江戸城無血開城や明治新政府樹立など、明治維新に最大の功績を残した「西郷どん」。そんな西郷隆盛の銅像があるのが、鹿児島市内の「城山」だ。県内最大の繁華街・天文館から徒歩圏内にあり、多くの観光客が訪れる。
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6位
福澤諭吉旧居・福澤記念館
中津藩の下級武士として生まれた福澤諭吉が、少年期を過ごした日本家屋が公開されている。茅葺き屋根に障子の広間が印象的で、当時の武士の暮らしぶりを伝えている。
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7位
赤水展望広場・叫びの肖像
鹿児島市桜島赤水町の「赤水展望広場」内にあるモニュメント。平成16年(2004)に桜島で行われた長渕剛氏によるオールナイトコンサートを記念したもの。桜島溶岩を用いて会場跡地に制作され、ファンの聖地となっている。
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8位
吉野ヶ里歴史公園
教科書にも登場し、弥生時代を代表的する遺跡のひとつ「吉野ヶ里遺跡」。遺跡の保存と活用を目的に整備された歴史公園は、古代の人々の暮らしに触れ、楽しみながら学べる貴重なスポットとなっている。
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9位
国宝 臼杵石仏
平安時代末期から鎌倉時代にかけて造立された、国宝臼杵石仏。石仏群は4つのエリアに分かれ、合計61体の石仏が彫刻された。そのすべてが国宝に指定されている。一体ごとに表情の異なる石仏は、訪れる人をあたたかく見守っている。
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10位
山王神社 二の鳥居(一本柱鳥居)
昭和20年(1945)、長崎市に投下された原子爆弾。爆心地から南東約900mの高台にあった山王神社は甚大な被害を受け、社殿は跡形もなく崩れさった。その山王神社の参道にあるのが一本柱鳥居である。もとは4つあった鳥居のうち、この鳥居だけが片方の柱を残し現存した。原爆の脅威を物語る鳥居である。
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11位
尚子ロード記念碑
徳之島子宝空港から車で約10分。シドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子選手が強化合宿を行なったことにちなんで、平成12年(2000)に建てられた記念碑。記念碑を拠点として徳之島の北側を周回する31.2kmの練習コースは「尚子ロード」と呼ばれ、徳之島の起伏の激しい地形を生かし、強靭な体力と精神力を鍛えている。全国からマラソン選手が練習に訪れ、走り込みをしている姿を見られることも。
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12位
はらほげ地蔵
壱岐市芦辺町諸吉本村触にある地蔵。六道において衆生を救うという六体の地蔵が海にせり出した場所に祀られており、満潮時には海に浸かっている姿を拝むことができる。「はらほげ」の名は腹の部分が丸くえぐれていることに由来するが、祀られた目的については諸説ある。
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13位
鹿児島県歴史・美術センター黎明館・鹿児島城(鶴丸城)跡
別名「鶴丸城」とも呼ばれる、慶長6年(1601)頃に島津家久が築いた城である。天守閣を持たない屋形づくりの城であった。現在は石垣やお堀が遺っており、本丸跡には鹿児島県歴史・美術センター黎明館が、二の丸跡には鹿児島県立図書館や鹿児島市立美術館などが建っている。2020年には、国内最大級の城門「鶴丸城御楼門」が復元された。
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14位
平和祈念像
路面電車「平和公園」から徒歩で約3分。長崎駅の北に位置する平和公園内「願いのゾーン」にある青銅像。長崎県出身の彫刻家である北村西望氏が製作した像を原爆投下から10年後の昭和30年(1955)に建立したもので、右手は原爆の脅威、左手は平和、閉じた目は「原爆犠牲者の冥福を祈る」という意味がそれぞれ込められている。毎年8月9日には、像の前にある式典広場で平和祈念式典が行なわれる。
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15位
大久保利通銅像
JR「鹿児島中央駅」より徒歩約5分にある約4.3mの銅像。明治維新の3傑と言われた「大久保利通」の没後100年記念として、彫刻家の中村晋也氏が制作した。銅像の視線の先には、故郷の「加治屋町」「甲突川」があることで知られている。また足元には、大久保利通の暗殺と共に亡くなった馬車夫と馬の像も彫られている。
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16位
佐賀県指定史跡 鵜殿石仏群
JR唐津線「相知駅」より徒歩約20分、せり出した岩壁に彫られた大小60あまりの仏像群(磨崖仏)。佐賀県の指定史跡であり「新さが百景」にも選ばれている。806年に弘法大師が洞窟内に仏像を刻んだのが始まりとされる。当時の像は失われ、洞窟も崩壊、現在は奥の壁面が残るのみとなっている。現存する仏像は南北朝時代から江戸時代にかけて作られたもので、十一面観世音や多聞天、持国天など、密教の色彩が強く感じられるものとなっている。
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17位
別府市公会堂(中央公民館・市民会館)
別府市上田の湯町にある公民館。中央公民館と市民会館を改修し、昭和3年(1928)の建設当時の姿に復元、「別府市公会堂」と改称された。1階に中央公民館、2階、3階に大ホールのある市民会館を備え、施設のシンボルである正面階段などの復元により昭和初期建設当時の雰囲気を体感できる施設となっている。アーチ型の天井を再現した大ホールや当時の照明器具、ステンドグラスなど文化財として見どころも多い。
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18位
キリシタン洞窟礼拝堂跡
JR「豊後竹田駅」から徒歩約15分。殿町武家屋敷の裏手にある、世界でも珍しい凝灰岩をくり抜いて造られた礼拝堂。内部は5つの窓と屋根部分がくり抜かれたドーム状の祭壇になっており、手前には礼拝スペース、その隣には司祭が隠れ住んだとされる洞窟がある。熱心なキリスト教徒だった戦国時代末期の岡城主・志賀親次の影響で竹田や朽網には信者が多かったと言われており、禁教令以後もこの礼拝堂は密かな信仰の場となっていた。
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19位
恋地蔵尊
かつて「九州の奥座敷」とも称された杖立温泉の一画に佇む地蔵尊。温泉街を流れる杖立川には3つの橋がかかっており、それぞれのたもとに願いをかなえてくれるという地蔵尊が祀られている。そのうちの一つである杖立橋のたもとにあるのが、恋の願いが叶うという「恋地蔵尊」だ。子供たちの成長を見守る「子育て地蔵尊」、健康を守る「健やか地蔵尊」とあわせて3つの橋をすべて巡る観光客の姿も多い。
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20位
内成棚田
大分県別府市の「内成棚田」は、山の斜面に約1000枚の棚田が連なる規模で、棚田百選の中でも特に大きい。急な斜面での稲作は困難だが、その歴史は鎌倉時代(1185年-1333年)にまで遡り、江戸時代初期には現在の形になったとされる。
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21位
武家屋敷通り
豊臣秀吉の時代に築かれた竹田市は、初代岡藩主・中川秀成が作った城下町で、岡城を中心に商人や町人、寺院、武家屋敷が配置された。特に武家屋敷通りは、約120mの路地に見事な土塀や石垣の屋敷が並び、岡藩の中級武士が住んでいた。2016年(平成28)の熊本地震で一部損傷したが、修復しながら歴史的建物を守っている。武家屋敷通りは「歴史の道」とも呼ばれ、広瀬神社やキリスト教洞窟礼拝堂などの名所がある。
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22位
祝吉御所跡
鎌倉時代に荘園・島津荘の役人に任命された惟宗忠久氏の館があったとされる場所。公園整備の際に一部の発掘調査が実施され、道路の跡や柱の穴などが見つかっている。忠久は荘園の名前をとって「島津忠久」と名を改め、後に名門となる島津氏の初代となった人物。そのため都城市は島津発祥の地と言われ、祝吉御所跡には島津発祥の地を記した石碑が立っている。
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23位
出光佐三生家
出光興産の創業者である実業家・出光佐三が生まれた家で、唐津街道の赤間宿に位置する。元々は藍問屋で、かつては内部も見学することができたが、現在は外観を眺めるのみとなっている。付近には民家を改装した展示室がある。また、家屋は濃く有形文化財として保存されている。
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24位
人吉駅前からくり時計
JR人吉駅前にあるからくり時計。人吉城をイメージした2層3階建ての白漆喰調の天守で、人吉城のお殿様が城下見物を行うという物語を展開している。軽快なメロディは球磨地域の民謡「球磨の六調子」をアレンジしたもの。音楽に合わせてお殿様や田舎の庄屋どん、相良乙女や熊本県指定の無形文化財・臼太鼓踊りの一団など計17体の人形達が登場する。からくり時計の作動時刻は9時から18時の毎時(冬季は17時まで)。時計の石垣部分には人吉城の特徴でもある武者返しが再現されている。
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25位
三重津海軍所跡
日本の近代造船の礎を築いた、三重津海軍所。現存する国内最古のドライドック(船体の検査や修理などのための施設)があり、幕末の佐賀藩が日本初の実用蒸気船「凌風丸」を完成させた場所だ。
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26位
大宰府政庁跡
万葉集には「遠の朝廷(とおのみかど)」と詠まれ、国防や外交のために設けられた役所・大宰府の中枢が置かれた場所。立派な礎石などが残っており、その景観から古代に思いを馳せることができる。
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27位
泉重千代翁之像
泉重千代は1865年伊仙町阿三にて生まれ、昭和60年(1985)満120歳で亡くなった、江戸時代最後の生き残りといわれる人物。昭和51年(1976)には長寿ギネス世界一に認定され、その功績を讃えるために生家のあった鹿児島県徳之島の南側に広がる田園地帯に銅像と記念館が建設された。記念館では写真や遺品などが多数展示されており、泉重千代の長い足跡を今に伝えている。
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28位
西園寺公望仮寓居跡
長崎市玉園町の筑後通り沿いにある史跡。 第12代と第14代の2度にわたって内閣総理大臣を務めるなど、要職を歴任した政治家・西園寺公望が、明治初期にフランス留学前の準備期間を過ごしていた仮寓居の跡地。
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29位
日本二十六聖人記念館
慶長元年(1597)、豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、フランシスコ会宣教師6名と日本人信徒20名が処刑された丘。キリストが十字架の架けられたゴルゴダの丘に似ていることからここでの殉教を願い出たとも言われ、その後も多くの宣教師、信徒たちがこの地で処刑された。昭和37年(1962)、二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込記念碑が建てられた。また昭和25年(1950)にはローマ教皇によりバチカン指定公式巡礼地と定められた。
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30位
日出城址
JR「暘谷駅」から徒歩約5分。初代藩主・木下延俊によって慶長7年(1602)に築かれた、旧日出藩主・木下家の居城跡。本丸には天守閣をはじめ、各所に櫓が築かれ、城を中心に二の丸、三の丸、外郭と三重の構えを備えていた。現在は石垣や堀の跡を残すのみだが、周辺は城址公園として整備されている。城址から高崎山を望む別府湾の眺望は「別府八景」「大分県百景」に数えられている。本丸下の海中は「城下カレイ」の生息地として知られている。
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8位
吉野ヶ里歴史公園
教科書にも登場し、弥生時代を代表的する遺跡のひとつ「吉野ヶ里遺跡」。遺跡の保存と活用を目的に整備された歴史公園は、古代の人々の暮らしに触れ、楽しみながら学べる貴重なスポットとなっている。
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9位
国宝 臼杵石仏
平安時代末期から鎌倉時代にかけて造立された、国宝臼杵石仏。石仏群は4つのエリアに分かれ、合計61体の石仏が彫刻された。そのすべてが国宝に指定されている。一体ごとに表情の異なる石仏は、訪れる人をあたたかく見守っている。
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10位
山王神社 二の鳥居(一本柱鳥居)
昭和20年(1945)、長崎市に投下された原子爆弾。爆心地から南東約900mの高台にあった山王神社は甚大な被害を受け、社殿は跡形もなく崩れさった。その山王神社の参道にあるのが一本柱鳥居である。もとは4つあった鳥居のうち、この鳥居だけが片方の柱を残し現存した。原爆の脅威を物語る鳥居である。
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11位
尚子ロード記念碑
徳之島子宝空港から車で約10分。シドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子選手が強化合宿を行なったことにちなんで、平成12年(2000)に建てられた記念碑。記念碑を拠点として徳之島の北側を周回する31.2kmの練習コースは「尚子ロード」と呼ばれ、徳之島の起伏の激しい地形を生かし、強靭な体力と精神力を鍛えている。全国からマラソン選手が練習に訪れ、走り込みをしている姿を見られることも。
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12位
はらほげ地蔵
壱岐市芦辺町諸吉本村触にある地蔵。六道において衆生を救うという六体の地蔵が海にせり出した場所に祀られており、満潮時には海に浸かっている姿を拝むことができる。「はらほげ」の名は腹の部分が丸くえぐれていることに由来するが、祀られた目的については諸説ある。
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13位
鹿児島県歴史・美術センター黎明館・鹿児島城(鶴丸城)跡
別名「鶴丸城」とも呼ばれる、慶長6年(1601)頃に島津家久が築いた城である。天守閣を持たない屋形づくりの城であった。現在は石垣やお堀が遺っており、本丸跡には鹿児島県歴史・美術センター黎明館が、二の丸跡には鹿児島県立図書館や鹿児島市立美術館などが建っている。2020年には、国内最大級の城門「鶴丸城御楼門」が復元された。
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14位
平和祈念像
路面電車「平和公園」から徒歩で約3分。長崎駅の北に位置する平和公園内「願いのゾーン」にある青銅像。長崎県出身の彫刻家である北村西望氏が製作した像を原爆投下から10年後の昭和30年(1955)に建立したもので、右手は原爆の脅威、左手は平和、閉じた目は「原爆犠牲者の冥福を祈る」という意味がそれぞれ込められている。毎年8月9日には、像の前にある式典広場で平和祈念式典が行なわれる。
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15位
大久保利通銅像
JR「鹿児島中央駅」より徒歩約5分にある約4.3mの銅像。明治維新の3傑と言われた「大久保利通」の没後100年記念として、彫刻家の中村晋也氏が制作した。銅像の視線の先には、故郷の「加治屋町」「甲突川」があることで知られている。また足元には、大久保利通の暗殺と共に亡くなった馬車夫と馬の像も彫られている。
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16位
佐賀県指定史跡 鵜殿石仏群
JR唐津線「相知駅」より徒歩約20分、せり出した岩壁に彫られた大小60あまりの仏像群(磨崖仏)。佐賀県の指定史跡であり「新さが百景」にも選ばれている。806年に弘法大師が洞窟内に仏像を刻んだのが始まりとされる。当時の像は失われ、洞窟も崩壊、現在は奥の壁面が残るのみとなっている。現存する仏像は南北朝時代から江戸時代にかけて作られたもので、十一面観世音や多聞天、持国天など、密教の色彩が強く感じられるものとなっている。
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17位
別府市公会堂(中央公民館・市民会館)
別府市上田の湯町にある公民館。中央公民館と市民会館を改修し、昭和3年(1928)の建設当時の姿に復元、「別府市公会堂」と改称された。1階に中央公民館、2階、3階に大ホールのある市民会館を備え、施設のシンボルである正面階段などの復元により昭和初期建設当時の雰囲気を体感できる施設となっている。アーチ型の天井を再現した大ホールや当時の照明器具、ステンドグラスなど文化財として見どころも多い。
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18位
キリシタン洞窟礼拝堂跡
JR「豊後竹田駅」から徒歩約15分。殿町武家屋敷の裏手にある、世界でも珍しい凝灰岩をくり抜いて造られた礼拝堂。内部は5つの窓と屋根部分がくり抜かれたドーム状の祭壇になっており、手前には礼拝スペース、その隣には司祭が隠れ住んだとされる洞窟がある。熱心なキリスト教徒だった戦国時代末期の岡城主・志賀親次の影響で竹田や朽網には信者が多かったと言われており、禁教令以後もこの礼拝堂は密かな信仰の場となっていた。
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19位
恋地蔵尊
かつて「九州の奥座敷」とも称された杖立温泉の一画に佇む地蔵尊。温泉街を流れる杖立川には3つの橋がかかっており、それぞれのたもとに願いをかなえてくれるという地蔵尊が祀られている。そのうちの一つである杖立橋のたもとにあるのが、恋の願いが叶うという「恋地蔵尊」だ。子供たちの成長を見守る「子育て地蔵尊」、健康を守る「健やか地蔵尊」とあわせて3つの橋をすべて巡る観光客の姿も多い。
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20位
内成棚田
大分県別府市の「内成棚田」は、山の斜面に約1000枚の棚田が連なる規模で、棚田百選の中でも特に大きい。急な斜面での稲作は困難だが、その歴史は鎌倉時代(1185年-1333年)にまで遡り、江戸時代初期には現在の形になったとされる。
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21位
武家屋敷通り
豊臣秀吉の時代に築かれた竹田市は、初代岡藩主・中川秀成が作った城下町で、岡城を中心に商人や町人、寺院、武家屋敷が配置された。特に武家屋敷通りは、約120mの路地に見事な土塀や石垣の屋敷が並び、岡藩の中級武士が住んでいた。2016年(平成28)の熊本地震で一部損傷したが、修復しながら歴史的建物を守っている。武家屋敷通りは「歴史の道」とも呼ばれ、広瀬神社やキリスト教洞窟礼拝堂などの名所がある。
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22位
祝吉御所跡
鎌倉時代に荘園・島津荘の役人に任命された惟宗忠久氏の館があったとされる場所。公園整備の際に一部の発掘調査が実施され、道路の跡や柱の穴などが見つかっている。忠久は荘園の名前をとって「島津忠久」と名を改め、後に名門となる島津氏の初代となった人物。そのため都城市は島津発祥の地と言われ、祝吉御所跡には島津発祥の地を記した石碑が立っている。
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23位
出光佐三生家
出光興産の創業者である実業家・出光佐三が生まれた家で、唐津街道の赤間宿に位置する。元々は藍問屋で、かつては内部も見学することができたが、現在は外観を眺めるのみとなっている。付近には民家を改装した展示室がある。また、家屋は濃く有形文化財として保存されている。
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24位
人吉駅前からくり時計
JR人吉駅前にあるからくり時計。人吉城をイメージした2層3階建ての白漆喰調の天守で、人吉城のお殿様が城下見物を行うという物語を展開している。軽快なメロディは球磨地域の民謡「球磨の六調子」をアレンジしたもの。音楽に合わせてお殿様や田舎の庄屋どん、相良乙女や熊本県指定の無形文化財・臼太鼓踊りの一団など計17体の人形達が登場する。からくり時計の作動時刻は9時から18時の毎時(冬季は17時まで)。時計の石垣部分には人吉城の特徴でもある武者返しが再現されている。
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25位
三重津海軍所跡
日本の近代造船の礎を築いた、三重津海軍所。現存する国内最古のドライドック(船体の検査や修理などのための施設)があり、幕末の佐賀藩が日本初の実用蒸気船「凌風丸」を完成させた場所だ。
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26位
大宰府政庁跡
万葉集には「遠の朝廷(とおのみかど)」と詠まれ、国防や外交のために設けられた役所・大宰府の中枢が置かれた場所。立派な礎石などが残っており、その景観から古代に思いを馳せることができる。
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27位
泉重千代翁之像
泉重千代は1865年伊仙町阿三にて生まれ、昭和60年(1985)満120歳で亡くなった、江戸時代最後の生き残りといわれる人物。昭和51年(1976)には長寿ギネス世界一に認定され、その功績を讃えるために生家のあった鹿児島県徳之島の南側に広がる田園地帯に銅像と記念館が建設された。記念館では写真や遺品などが多数展示されており、泉重千代の長い足跡を今に伝えている。
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28位
西園寺公望仮寓居跡
長崎市玉園町の筑後通り沿いにある史跡。 第12代と第14代の2度にわたって内閣総理大臣を務めるなど、要職を歴任した政治家・西園寺公望が、明治初期にフランス留学前の準備期間を過ごしていた仮寓居の跡地。
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29位
日本二十六聖人記念館
慶長元年(1597)、豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、フランシスコ会宣教師6名と日本人信徒20名が処刑された丘。キリストが十字架の架けられたゴルゴダの丘に似ていることからここでの殉教を願い出たとも言われ、その後も多くの宣教師、信徒たちがこの地で処刑された。昭和37年(1962)、二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込記念碑が建てられた。また昭和25年(1950)にはローマ教皇によりバチカン指定公式巡礼地と定められた。
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30位
日出城址
JR「暘谷駅」から徒歩約5分。初代藩主・木下延俊によって慶長7年(1602)に築かれた、旧日出藩主・木下家の居城跡。本丸には天守閣をはじめ、各所に櫓が築かれ、城を中心に二の丸、三の丸、外郭と三重の構えを備えていた。現在は石垣や堀の跡を残すのみだが、周辺は城址公園として整備されている。城址から高崎山を望む別府湾の眺望は「別府八景」「大分県百景」に数えられている。本丸下の海中は「城下カレイ」の生息地として知られている。
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