その他の史跡/建造物・高知県ランキングRANKING
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1位
為松公園(中村城跡)
四万十市立郷土資料館の近くにある市民公園。応仁の乱の際に為松氏によって築城された「中村城(別名、為松城)」の跡地を整地した公園。碁盤の目状に広がる小京都中村の街を一望できる高台にあり、桜の名所として知られる。園内には約500本のソメイヨシノが植栽され、例年3月下旬から4月上旬のシーズンには満開の桜と、「四万十川花絵巻 桜の巻」の期間中には、夜間にボンボリが点灯し幻想的な夜桜を楽しむことができる。
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2位
坂本龍馬像
高知市浦戸の「桂浜公園」内に建つ坂本龍馬の銅像。地元の有志の募金活動によって建設資金を集め昭和3年(1928)に完成。高さは台座を含めて約13.5mで、和服にブーツ姿の坂本龍馬が桂浜の高台から太平洋を見つめている。春と秋には、像の横に同じ高さの特設展望台を設置する「龍馬に大接近」が開催される。
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3位
維新の道
1853年(嘉永6)のペリー来航後、土佐藩では尊王攘夷派の下士と公武合体派の上士が対立。下士の弾圧により脱藩者が増えた。脱藩は命がけだが、龍馬は明確な目的と計画を持って脱藩を決意。当時の混乱した世情と政治的利用のため、脱藩者は黙認されていた。龍馬は脱藩者で組織した軍隊を持つ長州藩を目指したという。
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4位
お龍・君枝姉妹像
「琴ヶ浜 松原野外劇場入口」の看板から300mほど進んだ先にあるブロンズ像。眼前に黒潮の太平洋、背後に緑濃い松並木が続く琴ヶ浜に高さ1.7メートルの姉妹像が立っている。平成5年(1993)に除幕したこの像は「姉妹愛と共に龍馬・覚兵衛を記念しよう」という芸西村の思いから建設されたもの。坂本龍馬の妻・お龍とその妹、君枝が眺めるのははるか遠い桂浜の龍馬像だ。この琴ヶ浜には龍馬を失ったお龍が龍馬遺品の短銃で雀を撃って戯れたり、ここを去る際に保存していた龍馬からの手紙を焼き捨てるよう依頼した等のエピソードが残っている。
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5位
岡御殿
天保15年(1844)に建築された田野の豪商・岡家の屋敷。かつては参勤交代や東部巡視の本陣として使用していた建物を一般公開している。敷地内には御殿をはじめ茶の間や土蔵、御成門などが保存復元されており、藩政末期の様子を偲ぶことが可能。面を取った角柱と敷詰の畳からなる御殿は高知県東部において最高の格式をもった建物だ。政治や経済、文化の中心として繁栄した田野の面影を残し、当時の建築様式を現代に繋いでいることから県の有形文化財に指定された。
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6位
岩崎彌太郎銅像
昭和60年(1985)に岩崎彌太郎生誕150年を記念して建てられた銅像。当初は安芸市役所近くの上江ノ川公園内に建っていたが、平成27年(2015)に岩崎彌太郎生家前へ移設された。和服姿で海に向かって立つ弥太郎をイメージした像は高さ3.3m、台座の高さ1.1mの巨大な像。その堂々とした姿には偉人のもつ独特の雰囲気が漂っており、見応えも抜群だ。力強く右手をあげ、時代の激風に向かって立つ威風堂々とした姿に並んで記念撮影する観光客の姿も多い。
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7位
安徳天皇陵墓参考地(横倉山県立自然公園)
越知町西方に屹立し、標高774mの山である横倉山や仁淀川などが見どころの横倉山県立自然公園の中にある墓参考地。国の指定を受けている。安徳天皇が都を忍び従臣と共に蹴鞠をして遊んだ場所として伝えられている。県内で唯一の宮内庁所轄地だ。
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8位
吉村虎太郎銅像
津野山郷芳生野の庄屋として生まれた吉村虎太郎の銅像。24歳のときに土佐勤王党に加盟。勤王の志に燃え二度の脱藩を経て天誅組を組織し、総裁をつとめた。天誅組の行動は明治維新のさきがけとなったことで有名だ。
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9位
維新の門
志士の足跡が残る地を選び八志士の群像を大志を抱き、峻険を駆け抜けた男たちの決意を偲んで建立された門。郷土を誇りとする青年たちの情熱と維新の里の発展を希求する町内外の多くの有志の熱い想いが込められている。
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10位
ゆすはら座
昭和23年(1948)に梼原町の町組によって北町に建設され平成7年(1995)に東町に移転復元された建物。大正時代の和洋折衷様式を取り入れた建造物で、モダンな外形に花道のついた舞台・2階の桟敷席・天井の木目の美しさが素晴らしい。また、高知県下では唯一の木造りの芝居小屋でもある。
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11位
六志士の墓
梼原町にゆかりの勤王志士である吉村虎太郎・那須信吾・那須俊平・前田繁馬・中平龍之介・掛橋和泉を分霊した墓地。幕末時代に尊皇攘夷論を唱え、国事に奔走して殉死した彼らの墓地は梼原町の指定文化財にもなっている。
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12位
東町 茶堂
梼原町各地に今も現存するお茶堂。慶長9年(1604)から11年にかけて津野山郷各村々に茶堂を建て、弘法大師・考山霊・三界万霊を祭り、厄払招福の祭りをする申し合わせがなされたと、その起源について伝えられている。広さは2間(3.6m)に1間半(2.72m)くらいで現在町内には13棟が保存されている。
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13位
日根野道場跡
龍馬誕生地から徒歩でも5分ほどの場所にあった龍馬ゆかりの地。龍馬はここで14歳から19歳まで修業し、剣法や居合・槍・棒・薙刀・騎射・水泳・水馬などの武芸を身につけた。道場跡を決定づけるものは何もないが頑丈な石垣や、土用竹の生垣は道場ありし頃の光景を彷彿させる。
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14位
長宗我部元親公初陣の像
長宗我部元親は長宗我部氏第21代当主。土佐の国人から戦国大名へと成長し、土佐統一を経て四国全土をほぼ統一した人物として有名だ。若宮八幡宮は、長宗我部元親が出陣の際の戦勝祈願の社として崇敬していた神社で、像は長宗我部元親公没後400年に当たる平成11年(1999)に、地元有志「一領具足会」の発案により若宮八幡宮内に建立された。
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15位
中岡慎太郎 銅像
室戸岬の先端近くに太平洋を見据えるように建っている明治維新の勤王の志士 中岡慎太郎の像。中岡慎太郎は、海援隊長の坂本龍馬とともに活躍し慶応3年(1867)11月15日に京都河原町の近江屋で刺客に襲われ、龍馬とともに落命した。この像は、昭和10年(1935)安芸郡青年団が主体となって建てられた。
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16位
浜田の泊り屋
幕末から明治にかけて、幡多地区の各部落では泊り屋を建てて若い衆が宿泊する風習があった。 幡多地区の泊り屋(「やぐら」とも言った)は、すべて高床式の独立家屋で、百数十ヵ所も設置されていた。現在では、この芳奈部落に四つの泊り屋が残っている。
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17位
旧立川番所書院
日本後記に延暦16年(797)に丹川すなわち立川駅が置かれたとある、古い歴史を持つ立川下名口番所(立川関)。藩主参勤交代の本陣として重要視され、岩佐口番所、池川口番所とならんで土佐の三大番所の一つだった。現在の建物は昭和48年(1973)に町が譲り受け、昭和49年(1974)に旧立川番所書院として国の重要文化財に指定された。
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8位
吉村虎太郎銅像
津野山郷芳生野の庄屋として生まれた吉村虎太郎の銅像。24歳のときに土佐勤王党に加盟。勤王の志に燃え二度の脱藩を経て天誅組を組織し、総裁をつとめた。天誅組の行動は明治維新のさきがけとなったことで有名だ。
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9位
維新の門
志士の足跡が残る地を選び八志士の群像を大志を抱き、峻険を駆け抜けた男たちの決意を偲んで建立された門。郷土を誇りとする青年たちの情熱と維新の里の発展を希求する町内外の多くの有志の熱い想いが込められている。
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10位
ゆすはら座
昭和23年(1948)に梼原町の町組によって北町に建設され平成7年(1995)に東町に移転復元された建物。大正時代の和洋折衷様式を取り入れた建造物で、モダンな外形に花道のついた舞台・2階の桟敷席・天井の木目の美しさが素晴らしい。また、高知県下では唯一の木造りの芝居小屋でもある。
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11位
六志士の墓
梼原町にゆかりの勤王志士である吉村虎太郎・那須信吾・那須俊平・前田繁馬・中平龍之介・掛橋和泉を分霊した墓地。幕末時代に尊皇攘夷論を唱え、国事に奔走して殉死した彼らの墓地は梼原町の指定文化財にもなっている。
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12位
東町 茶堂
梼原町各地に今も現存するお茶堂。慶長9年(1604)から11年にかけて津野山郷各村々に茶堂を建て、弘法大師・考山霊・三界万霊を祭り、厄払招福の祭りをする申し合わせがなされたと、その起源について伝えられている。広さは2間(3.6m)に1間半(2.72m)くらいで現在町内には13棟が保存されている。
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13位
日根野道場跡
龍馬誕生地から徒歩でも5分ほどの場所にあった龍馬ゆかりの地。龍馬はここで14歳から19歳まで修業し、剣法や居合・槍・棒・薙刀・騎射・水泳・水馬などの武芸を身につけた。道場跡を決定づけるものは何もないが頑丈な石垣や、土用竹の生垣は道場ありし頃の光景を彷彿させる。
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14位
長宗我部元親公初陣の像
長宗我部元親は長宗我部氏第21代当主。土佐の国人から戦国大名へと成長し、土佐統一を経て四国全土をほぼ統一した人物として有名だ。若宮八幡宮は、長宗我部元親が出陣の際の戦勝祈願の社として崇敬していた神社で、像は長宗我部元親公没後400年に当たる平成11年(1999)に、地元有志「一領具足会」の発案により若宮八幡宮内に建立された。
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15位
中岡慎太郎 銅像
室戸岬の先端近くに太平洋を見据えるように建っている明治維新の勤王の志士 中岡慎太郎の像。中岡慎太郎は、海援隊長の坂本龍馬とともに活躍し慶応3年(1867)11月15日に京都河原町の近江屋で刺客に襲われ、龍馬とともに落命した。この像は、昭和10年(1935)安芸郡青年団が主体となって建てられた。
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16位
浜田の泊り屋
幕末から明治にかけて、幡多地区の各部落では泊り屋を建てて若い衆が宿泊する風習があった。 幡多地区の泊り屋(「やぐら」とも言った)は、すべて高床式の独立家屋で、百数十ヵ所も設置されていた。現在では、この芳奈部落に四つの泊り屋が残っている。
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17位
旧立川番所書院
日本後記に延暦16年(797)に丹川すなわち立川駅が置かれたとある、古い歴史を持つ立川下名口番所(立川関)。藩主参勤交代の本陣として重要視され、岩佐口番所、池川口番所とならんで土佐の三大番所の一つだった。現在の建物は昭和48年(1973)に町が譲り受け、昭和49年(1974)に旧立川番所書院として国の重要文化財に指定された。
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