その他の史跡/建造物・神奈川県ランキングRANKING
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1位
旧華頂宮邸
報国寺からさらに山奥へ進んだ場所にある旧華頂宮邸は、昭和4年(1929)に宮家である華頂博信侯爵の邸宅として建てられた洋風建築である。平成8年(1996)に鎌倉市が土地と建物を取得し、平成18年(2006)には市の景観重要建築物と国の登録有形文化財(建造物)に指定されている。フランス式の庭園は四季折々の花と豊かな緑に囲まれ、「日本の歴史公園100選」にも選ばれている。
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2位
朝夷奈切通
鎌倉時代、山と海に囲まれた鎌倉と港町六浦を繋ぐ交通路として重用された切通の一つで、鎌倉地区東側の守備の拠点であったと伝えられている。鎌倉地区に現存する切通の中でも最も往時の面影を残しているとされ、国の遺跡に指定されている。
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3位
龍恋の鐘
江の島の弁財天と五頭龍の伝説にちなんでつくられた、カップルの名所。見晴らしのいい丘の上に大きな鐘が据えられ、南京錠がいくつもつけられた金網が周りをぐるりと囲んでいる。恋人同士でこの地を訪れて鐘を鳴らし、金網に南京錠をつけると永遠に結ばれると言われている。江ノ電「江ノ島」駅から徒歩25分。
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4位
群猿奉賽像庚申塔
日本三大弁財天の一つとして知られる江島神社の奥津宮への参道の途中にある四角柱の庚申塔で、藤沢市の指定重要有形民俗文化財となっている。「見ざる、言わざる、聞かざる」をはじめとしたたくさんの猿の姿が彫られているユニークな庚申塔だ。
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5位
箱根旧街道石畳
足柄下郡箱根町の旧東海道に残る箱根越えの道。急な坂の多い天下の難所「箱根八里」を行く旅人のために、延宝8年(1680)に石畳が施設された。現在はハイキングコースとしても親しまれており、緑濃い箱根の自然を感じながら旅人気分で散策が楽しめる。雨天時に雨水を流すための排水路など、険しい山道を歩きやすく整備した跡も見ることができる。
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6位
畑宿一里塚
箱根町畑宿に江戸幕府が旅人のための目印として築いた、日本橋から23里目の地点であることを示す塚。かつては箱根や湯本茶屋にもあったが、その中で現在唯一形をとどめている(ただし後に復元されたものである)。
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7位
横浜外国人墓地
幕末の黒船艦隊来航の際の軍人の埋葬により始まった墓地。見晴らしの良い高台に、横浜開港当時の日本の発展に貢献した19世紀の人々をはじめとする、40数か国の外国人約5000人が眠っている。
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8位
横浜税関資料展示室
みなとみらい線日本大通り駅から徒歩3分。横浜市認定歴史的建造物の横浜税関本関庁舎1階に併設されており、横浜税関の歴史資料や、税関の仕組みを学べる資料の展示を行っている。同建築は「クイーンの塔」とも呼ばれ、神奈川県庁本庁舎(キングの塔)、横浜開港記念会館(ジャックの塔)とともに「横浜三塔」の一つに数えられるランドマークとして知られる。夜間はライトアップされ、季節によって違った表情を堪能できる。
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9位
横濱媽祖廟
2006年(平成18)に横浜の新名所として建立された横濱媽祖廟。子宝や安産、縁結び、学業成就など、さまざまなご利益があるといわれる、横浜中華街随一のパワースポットだ。
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10位
名越切通
鎌倉と三浦半島とを結ぶ要路の一つ「名越切通」は、周辺に切通の防衛にも関係すると考えられる平場や切岸、やぐらや火葬跡など葬送に関する遺構も多く分布していて、中世都市の周縁の歴史的景観を良く残している。切通路部分とまんだら堂やぐら群エリア・大切岸をはじめ、その範囲は全体でおよそ10haにもなる場所だ。
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11位
千代ヶ崎砲台跡
明治28年(1895年)、日清戦争中に竣工した東京湾要塞内の沿岸砲台跡で、国の史跡並びに日本遺産の構成文化財に指定されている。千代ヶ崎砲台は標高約65mの山上に設置された西洋式の砲台で、榴弾砲砲台と近接防御砲台で構成されている。
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12位
旧伊藤博文金沢別邸
金沢八景にある伊藤博文の別荘は、1898年(明治31)に完成。博文が首相を務めていた時期に政治家や皇族を招いていた。邸宅は3棟が連なる造りで、内部には博文の漢詩や大日本帝国憲法草案の複製が展示されている。博文暗殺後、所有は子息、日産系列会社、横浜市へと移った。2006年(平成18)に横浜市指定有形文化財となり、2009年(平成21)に創建当時の姿に復元され公開された。
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13位
鷹取山の磨崖仏
京浜急行「追浜駅」から湘南たかとり団地循環バス「たかとり小学校」下車徒歩約10分。石材の採取によって生じた垂直に切り立った崖が特徴の「鷹取山」にある巨大な弥勒菩薩尊像。横須賀市の彫刻家、藤島茂氏が昭和35年(1960)から約1年かけて製作したもので、像高約8m、像幅約4.5m。同時期に釈迦如来像も制作されたが、鷹取小学校建設のために破壊され、現存するのは弥勒菩薩像のみとなっている。周辺は鷹取山公園として整備されている。
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14位
燈明堂跡
京浜急行「浦賀駅」から車で約10分。浦賀港西岸の先端に作られた和式灯台の跡。1648年に石垣を土台として建てられた二階建ての建物で、その灯は房総半島まで届いたと言われる。明治5年(1872)4月に廃止されるまでの約220年間、一日も休まずに夜間の海上安全を守り続けてきた。その後は石垣だけを残して倒壊したが、昭和63年(1988)に当時の外観のままに復元された。沖合いには今も多くの船が行き交う姿が見られる。
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15位
三殿台遺跡
三殿台公園バス停から徒歩で約3分、天神前からは約10分の遺跡。昭和41年(1966)に国指定の史跡となっており、敷地内に横浜市三殿台考古館が併設されている。標高約55mの平たい丘の上に250軒程の竪穴住居跡が発見され、壺や青銅製の腕輪なども発掘。縄文・弥生・古墳と各時代の復元住居や遺構を展示する住居跡保護棟が見られる。
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16位
鉄道発祥記念碑
桜木町駅から徒歩で約2分。駅の出入口1から出てすぐ、駐輪場のそばにある記念碑。明治5年(1872)に新橋と横浜を結ぶ日本で最初の鉄道が開通したことから鉄道創業の地であるとされ、当時の終点である横浜駅が今の桜木町駅と同じ場所にあったため記念碑が建てられた。当時の横浜駅の外観を描いた図や運賃に時刻表、乗車するうえでの心得も書かれているので、その時代の様子を想像することができて面白い。
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17位
赤い靴はいてた女の子像
元町・中華街駅から徒歩で約4分、関内駅からは約13分。山下公園内、インド水塔から南東に歩いてすぐのところにある像で童謡「赤い靴」の歌詞にちなんで作られ、現在の赤い靴記念文化事業団によって寄贈された。実在の人物がモデルであるとされており、母子二人で北海道に渡るも、事情によって宣教師に預けられ、夫妻がアメリカに帰国する際、病気であったため置いていった。それを知らない母は娘はアメリカで生きていると信じ、それを元に海を眺める姿の像が作られたとされる。
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18位
インド水塔
元町・中華街駅から徒歩で約4分、関内駅からは約13分。山下公園内、大桟橋近くに建つ塔で、名前通りモスクを思わせる繊細で美しい様式が特徴となっている。大正12年(1923)に起きた関東大震災により、横浜で生活するインド人116人のうち28人が死去し、生き残った人々も震災の影響で不便な暮らしを強いられた。彼らを助けるため尽力した市民への感謝と亡くなった人々の慰霊に在日インド人協会が建立したもの。
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19位
水の守護神
元町・中華街駅から徒歩で約4分、関内駅からは約13分。山下公園内、山下公園中央口交差点から入ってすぐ目の前にある像で、花と噴水に囲まれた中に立っている。昭和30年(1955)にサンディエゴで暮らす日系人の要望に応じて市が雪見灯篭を寄贈。翌月にサンディエゴ市長の申し入れがあり姉妹都市に、茶室を寄贈した返礼として贈られたのがこの像で、ベルと歌碑を含めサンディエゴ友好の泉と呼ばれる。夜にライトアップも行われる。
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20位
十一人塚
江ノ電稲村ヶ崎駅下車、徒歩3分のところにある石碑。元弘3年(1333)5月19日に行われた、新田義貞の鎌倉攻めの際、大館宗氏は大群を率いて極楽寺坂の切り通しへと攻め込んだが、北条方の猛反撃にあって討ち取られてしまった。残った11人の部下も、この場所で自刃したと伝えられていて、彼らの遺体をここに埋め、十一面観音の像を建てて弔ったことから、十一人塚と呼ばれている。
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21位
日野俊基墓
JR鎌倉駅より徒歩15分のところにある、かつて後醍醐天皇の側近であった日野俊基の墓。日野は、1324年に、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕計画に参加した罪で捕らえられるも処罰は免れた。1331年に再び倒幕計画を企てるも、これが露見したことによって再び捕らえられ、翌年6月3日に葛原ヶ岡で処刑された。墓所は昭和2年(1927)に国指定史蹟に指定されている。
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22位
円覚寺 三門(山門)
神奈川県鎌倉市の円覚寺内にある門。三門は空、無相、無願の三解脱を象徴するといわれ、煩悩を取り払って仏殿に至る門とされている。天明5年(1785)に大用国師誠拙周樗によって再建されたもので、「円覚興聖禅寺」の扁額は、伏見上皇より賜ったものと伝えられている。三門は神奈川県指定重要文化財となっており、楼上には十一面観音や十二神将、十六羅漢が祀られている。
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23位
東勝寺跡
北条泰時建立という北条得宗家の氏寺の跡で、北条一族がここで自刃し、鎌倉幕府滅亡の地となった場所。発掘調査で寺院の遺構が確認されている。現在、東勝寺跡近くの腹切りやぐらへの道は石碑の倒壊の危険があるため通行禁止となっている。
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24位
仮粧坂
元弘3年(1333)5月18日、新田義貞の鎌倉攻めの時、激戦地となったつづら折の坂道。鎌倉七切通しの一つで、武蔵方面から葛原が岡を通って鎌倉へ入る切通しだ。この切通しは、武蔵方面へ通じる主要な出入り口として鎌倉の防御上重要な意味があった。
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25位
高徳院 与謝野晶子歌碑
鎌倉大仏殿高徳院境内にある歌碑。晶子直筆の歌が刻んである。碑の左側面には「鎌倉大仏造立七百年記念奉賛 昭和二十七年四月 味の素株式会社」と刻まれ、右側面には歌のローマ字綴りと英訳、更に英文の建碑由来が刻まれている。
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26位
高徳院 観月堂
鎌倉観音霊場23番札所ともなっている鎌倉大仏殿高徳院境内にあるお堂。15世紀中頃、漢陽の朝鮮王宮内に建築されたと伝えられる建物で、大正13年(1924)、当時これを所持されていた「山一合資会社(後の「山一證券」)社長 杉野喜精氏によって、東京目黒の私宅から移築・寄贈された。現在、江戸後期の作品とみられる観音菩薩立像を安置している。
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27位
永福寺跡
JR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在する、源頼朝が建立した寺院の跡。山林に囲まれた東西約100m・南北約200mの平坦地が寺の中心域と考えられ、その周囲の山林や谷戸も含め、約88000平方メートルが史跡に指定されている。
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28位
石原裕次郎 記念碑
端山郷総鎮守 森戸神社にある石碑。神社裏手の海岸入り口にあり、裕次郎のブロンズ像・石原慎太郎氏自筆の詩が刻まれている。湘南で青春を過ごし、この地をこよなく愛した俳優、故石原裕次郎の記念碑には今でも大勢のファンが訪れる。
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29位
白秋詩碑
昭和24年(1949)建碑が除幕され、昭和35年(1960)、城ヶ島大橋架橋により現在地に移転され、梁田貞の譜碑が添えられた。高さ3m余の下太の帆型の根府川石で、城ヶ島の雨の一節の草書は白秋の自筆だ。
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30位
源実朝公御首塚
鎌倉幕府3代将軍源実朝は、建保7年(1219)甥の公暁に暗殺されるが、公暁もまた三浦義村の家来により殺されてしまい、それ以来実朝の首は行方不明となった。この失われた首を探し出し葬ったとされるのが御首塚と云われている。毎年11/23に御首塚及び田原ふるさと公園で実朝まつりが開催されている。
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8位
横浜税関資料展示室
みなとみらい線日本大通り駅から徒歩3分。横浜市認定歴史的建造物の横浜税関本関庁舎1階に併設されており、横浜税関の歴史資料や、税関の仕組みを学べる資料の展示を行っている。同建築は「クイーンの塔」とも呼ばれ、神奈川県庁本庁舎(キングの塔)、横浜開港記念会館(ジャックの塔)とともに「横浜三塔」の一つに数えられるランドマークとして知られる。夜間はライトアップされ、季節によって違った表情を堪能できる。
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9位
横濱媽祖廟
2006年(平成18)に横浜の新名所として建立された横濱媽祖廟。子宝や安産、縁結び、学業成就など、さまざまなご利益があるといわれる、横浜中華街随一のパワースポットだ。
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10位
名越切通
鎌倉と三浦半島とを結ぶ要路の一つ「名越切通」は、周辺に切通の防衛にも関係すると考えられる平場や切岸、やぐらや火葬跡など葬送に関する遺構も多く分布していて、中世都市の周縁の歴史的景観を良く残している。切通路部分とまんだら堂やぐら群エリア・大切岸をはじめ、その範囲は全体でおよそ10haにもなる場所だ。
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11位
千代ヶ崎砲台跡
明治28年(1895年)、日清戦争中に竣工した東京湾要塞内の沿岸砲台跡で、国の史跡並びに日本遺産の構成文化財に指定されている。千代ヶ崎砲台は標高約65mの山上に設置された西洋式の砲台で、榴弾砲砲台と近接防御砲台で構成されている。
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12位
旧伊藤博文金沢別邸
金沢八景にある伊藤博文の別荘は、1898年(明治31)に完成。博文が首相を務めていた時期に政治家や皇族を招いていた。邸宅は3棟が連なる造りで、内部には博文の漢詩や大日本帝国憲法草案の複製が展示されている。博文暗殺後、所有は子息、日産系列会社、横浜市へと移った。2006年(平成18)に横浜市指定有形文化財となり、2009年(平成21)に創建当時の姿に復元され公開された。
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13位
鷹取山の磨崖仏
京浜急行「追浜駅」から湘南たかとり団地循環バス「たかとり小学校」下車徒歩約10分。石材の採取によって生じた垂直に切り立った崖が特徴の「鷹取山」にある巨大な弥勒菩薩尊像。横須賀市の彫刻家、藤島茂氏が昭和35年(1960)から約1年かけて製作したもので、像高約8m、像幅約4.5m。同時期に釈迦如来像も制作されたが、鷹取小学校建設のために破壊され、現存するのは弥勒菩薩像のみとなっている。周辺は鷹取山公園として整備されている。
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14位
燈明堂跡
京浜急行「浦賀駅」から車で約10分。浦賀港西岸の先端に作られた和式灯台の跡。1648年に石垣を土台として建てられた二階建ての建物で、その灯は房総半島まで届いたと言われる。明治5年(1872)4月に廃止されるまでの約220年間、一日も休まずに夜間の海上安全を守り続けてきた。その後は石垣だけを残して倒壊したが、昭和63年(1988)に当時の外観のままに復元された。沖合いには今も多くの船が行き交う姿が見られる。
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15位
三殿台遺跡
三殿台公園バス停から徒歩で約3分、天神前からは約10分の遺跡。昭和41年(1966)に国指定の史跡となっており、敷地内に横浜市三殿台考古館が併設されている。標高約55mの平たい丘の上に250軒程の竪穴住居跡が発見され、壺や青銅製の腕輪なども発掘。縄文・弥生・古墳と各時代の復元住居や遺構を展示する住居跡保護棟が見られる。
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16位
鉄道発祥記念碑
桜木町駅から徒歩で約2分。駅の出入口1から出てすぐ、駐輪場のそばにある記念碑。明治5年(1872)に新橋と横浜を結ぶ日本で最初の鉄道が開通したことから鉄道創業の地であるとされ、当時の終点である横浜駅が今の桜木町駅と同じ場所にあったため記念碑が建てられた。当時の横浜駅の外観を描いた図や運賃に時刻表、乗車するうえでの心得も書かれているので、その時代の様子を想像することができて面白い。
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17位
赤い靴はいてた女の子像
元町・中華街駅から徒歩で約4分、関内駅からは約13分。山下公園内、インド水塔から南東に歩いてすぐのところにある像で童謡「赤い靴」の歌詞にちなんで作られ、現在の赤い靴記念文化事業団によって寄贈された。実在の人物がモデルであるとされており、母子二人で北海道に渡るも、事情によって宣教師に預けられ、夫妻がアメリカに帰国する際、病気であったため置いていった。それを知らない母は娘はアメリカで生きていると信じ、それを元に海を眺める姿の像が作られたとされる。
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18位
インド水塔
元町・中華街駅から徒歩で約4分、関内駅からは約13分。山下公園内、大桟橋近くに建つ塔で、名前通りモスクを思わせる繊細で美しい様式が特徴となっている。大正12年(1923)に起きた関東大震災により、横浜で生活するインド人116人のうち28人が死去し、生き残った人々も震災の影響で不便な暮らしを強いられた。彼らを助けるため尽力した市民への感謝と亡くなった人々の慰霊に在日インド人協会が建立したもの。
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19位
水の守護神
元町・中華街駅から徒歩で約4分、関内駅からは約13分。山下公園内、山下公園中央口交差点から入ってすぐ目の前にある像で、花と噴水に囲まれた中に立っている。昭和30年(1955)にサンディエゴで暮らす日系人の要望に応じて市が雪見灯篭を寄贈。翌月にサンディエゴ市長の申し入れがあり姉妹都市に、茶室を寄贈した返礼として贈られたのがこの像で、ベルと歌碑を含めサンディエゴ友好の泉と呼ばれる。夜にライトアップも行われる。
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20位
十一人塚
江ノ電稲村ヶ崎駅下車、徒歩3分のところにある石碑。元弘3年(1333)5月19日に行われた、新田義貞の鎌倉攻めの際、大館宗氏は大群を率いて極楽寺坂の切り通しへと攻め込んだが、北条方の猛反撃にあって討ち取られてしまった。残った11人の部下も、この場所で自刃したと伝えられていて、彼らの遺体をここに埋め、十一面観音の像を建てて弔ったことから、十一人塚と呼ばれている。
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21位
日野俊基墓
JR鎌倉駅より徒歩15分のところにある、かつて後醍醐天皇の側近であった日野俊基の墓。日野は、1324年に、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕計画に参加した罪で捕らえられるも処罰は免れた。1331年に再び倒幕計画を企てるも、これが露見したことによって再び捕らえられ、翌年6月3日に葛原ヶ岡で処刑された。墓所は昭和2年(1927)に国指定史蹟に指定されている。
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22位
円覚寺 三門(山門)
神奈川県鎌倉市の円覚寺内にある門。三門は空、無相、無願の三解脱を象徴するといわれ、煩悩を取り払って仏殿に至る門とされている。天明5年(1785)に大用国師誠拙周樗によって再建されたもので、「円覚興聖禅寺」の扁額は、伏見上皇より賜ったものと伝えられている。三門は神奈川県指定重要文化財となっており、楼上には十一面観音や十二神将、十六羅漢が祀られている。
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23位
東勝寺跡
北条泰時建立という北条得宗家の氏寺の跡で、北条一族がここで自刃し、鎌倉幕府滅亡の地となった場所。発掘調査で寺院の遺構が確認されている。現在、東勝寺跡近くの腹切りやぐらへの道は石碑の倒壊の危険があるため通行禁止となっている。
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24位
仮粧坂
元弘3年(1333)5月18日、新田義貞の鎌倉攻めの時、激戦地となったつづら折の坂道。鎌倉七切通しの一つで、武蔵方面から葛原が岡を通って鎌倉へ入る切通しだ。この切通しは、武蔵方面へ通じる主要な出入り口として鎌倉の防御上重要な意味があった。
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25位
高徳院 与謝野晶子歌碑
鎌倉大仏殿高徳院境内にある歌碑。晶子直筆の歌が刻んである。碑の左側面には「鎌倉大仏造立七百年記念奉賛 昭和二十七年四月 味の素株式会社」と刻まれ、右側面には歌のローマ字綴りと英訳、更に英文の建碑由来が刻まれている。
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26位
高徳院 観月堂
鎌倉観音霊場23番札所ともなっている鎌倉大仏殿高徳院境内にあるお堂。15世紀中頃、漢陽の朝鮮王宮内に建築されたと伝えられる建物で、大正13年(1924)、当時これを所持されていた「山一合資会社(後の「山一證券」)社長 杉野喜精氏によって、東京目黒の私宅から移築・寄贈された。現在、江戸後期の作品とみられる観音菩薩立像を安置している。
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27位
永福寺跡
JR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在する、源頼朝が建立した寺院の跡。山林に囲まれた東西約100m・南北約200mの平坦地が寺の中心域と考えられ、その周囲の山林や谷戸も含め、約88000平方メートルが史跡に指定されている。
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28位
石原裕次郎 記念碑
端山郷総鎮守 森戸神社にある石碑。神社裏手の海岸入り口にあり、裕次郎のブロンズ像・石原慎太郎氏自筆の詩が刻まれている。湘南で青春を過ごし、この地をこよなく愛した俳優、故石原裕次郎の記念碑には今でも大勢のファンが訪れる。
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29位
白秋詩碑
昭和24年(1949)建碑が除幕され、昭和35年(1960)、城ヶ島大橋架橋により現在地に移転され、梁田貞の譜碑が添えられた。高さ3m余の下太の帆型の根府川石で、城ヶ島の雨の一節の草書は白秋の自筆だ。
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30位
源実朝公御首塚
鎌倉幕府3代将軍源実朝は、建保7年(1219)甥の公暁に暗殺されるが、公暁もまた三浦義村の家来により殺されてしまい、それ以来実朝の首は行方不明となった。この失われた首を探し出し葬ったとされるのが御首塚と云われている。毎年11/23に御首塚及び田原ふるさと公園で実朝まつりが開催されている。
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