歴史的建造物・山口県ランキングRANKING
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1位
東行庵
下関市吉田町にある寺院。維新で活躍した高杉晋作の霊位礼拝堂として、明治17年(1844)に創建された。本尊は「白衣観音菩薩」で、曹洞宗功山寺の末寺である。境内には顕彰碑や、高杉の詩碑などが設置されているほか、霊場のシンボルである沙羅の花をはじめ、四季折々の花木を楽しむことができる。
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2位
山口市菜香亭
山口市天花1丁目にある歴史的建造物。明治時代に「祇園菜香亭」という料亭として開業し、井上馨・伊藤博文・木戸孝允・山縣有朋らから親しまれていた。現在は文化交流施設として、祇園菜香亭とゆかりのある人物の所蔵品などが展示されている。また有料での着物の着付サービスや、人力車サービス、レンタサイクルなどを行っている。
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3位
萩・明倫学舎
明治維新の立役者・長州藩。この地が新政府を率いた偉人たちを生み出したのは、優れた教育環境が整っていたからにほかならない。「藩校明倫館」から「明倫小学校」まで続いた教育の場をのぞいてみよう。
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4位
問田益田氏旧宅土塀
萩市堀内の「旧萩城三の丸」にある土塀。国指定の重要伝統的建造物群保存地区に位置し、10数棟の武家屋敷が残る同地区でもひと際目を引く232mの白壁は、在りし日の萩城を想起させる迫力がある。近隣には萩城跡などの史跡もあるので、散策しながら観光する人も多い。
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5位
錦帯橋
城山と城下を結ぶため錦川に架けられた5連の木造アーチ橋。美しい清流、豊かな自然を残す周囲の山々とともに、唯一無二の絶景を作り出している。その歴史は洪水との戦いだったが、つねに岩国市民に愛され、守られ、人々に四季折々のさまざまな楽しみを与え続けてきた。
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6位
旧目加田家住宅
江戸時代中期に建てられた中流武家屋敷「目加田家住宅」。岩国の武家屋敷は錦川の氾濫に備えて二階建てになっていることが多く、目加田家住宅も二階建てであるが、表側が大屋根となっており窓がないため平屋のようにも見える。この造りは、藩主が通る際に見下ろすことがないよう配慮されたものだといわれている。昭和49年(1974)、国の重要文化財に指定された。
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7位
長府毛利邸
長府毛利家第14代当主・毛利元敏公により明治36年(1903)に建てられた邸宅。明治天皇の宿泊所として使われたこともあり、現在でも部屋の内の一部が保存されている。武家屋敷造りの重厚な母屋からは、池泉回遊式庭園、書院庭園、枯山水庭園といった3つの庭園を望むことができ、紅葉の名所としても知られている。
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8位
重要文化財 菊屋家住宅
江戸時代の豪商「菊屋家」が建てた家は、全国で最も古い町家として極めて高い価値をもつ。世界遺産の構成資産のエリアにあり、国の重要文化財に指定されている商家で、当時の豪商の暮らしに触れてみよう。
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9位
花江茶亭
指月公園内にある趣のある茶室。もとは三の丸にあった13代藩主毛利敬親の別邸・花江御殿の茶室「自在庵」を明治22年(1889)頃に移築したもので、茶を点てながら藩主と家臣たちによる話し合いなども行われていたという。萩市の有形文化財に指定。※しばらくの間、公開を休止いたします。
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10位
伊藤博文旧宅・別邸
長州が生んだ初代内閣総理大臣・伊藤博文。伊藤の旧宅の隣に立つ別邸は、もとは東京に建てられたもので、そのうち往時の面影を残す部分が移築された。素朴ながらも意匠に優れ、見どころにあふれている。
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11位
松下村塾
幕末から明治の時代、松本村(現在の萩市)に地域社会の人材育成の場として開かれた私塾。長州藩の兵学者だった吉田松陰が教育を行ったことで有名だ。指導を受けた者から新しい日本を支える逸材を多数輩出。明治維新からの日本の近代化は、この場所から始まっているのだ。
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12位
木戸孝允旧宅
幕末から明治にかけて、薩摩藩と手を組んで江戸幕府を倒し、近代国家の礎を築いた木戸孝允。大久保利通、西郷隆盛と並び、「維新の三傑」と称された木戸が生まれ、江戸に出るまでの20年間を見届けた生家である。
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13位
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
毛利元就の五男・元秋を祖とする厚狭毛利家の屋敷である。現在は安政3年(1856)に建てられた入母屋造り本瓦葺きの長屋のみが残っており、国の重要文化財に指定されている。萩に現存する武家屋敷の中でも最大規模の広さを誇り、梁間は5m、桁行は51.5m。萩城の模型などもあり、見ごたえがある。
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14位
重要文化財旧下関英国領事館
1901年(明治34)に開設された旧下関英国領事館は、赤レンガ造りの建物で、領事の執務室や住居などに使用された。1906年(明治39)に新築移転し、1940年(昭和15)まで機能していた。設計者は英国工務局上海事務所技師長のウィリアム・コーワンと推定される。1987年(昭和62)に市の有形文化財、1999年(平成11)には国の重要文化財に指定された。現在は展示室や喫茶・パブ、ギャラリーとして利用されている。
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15位
古江小路
下関市長府古江小路町にある通り。武家屋敷の土塀や道の作りなど、城下町として栄えた時代の面影が残る通りとなっている。長府藩の藩医などを務めた菅家の屋敷の門「菅家長屋門」は市の有形文化財に指定されている。
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16位
長府藩侍屋敷長屋
下関市長府侍町1丁目にある歴史的建造物。長府藩御馬廻役の屋敷の本門に併設されていた長屋を移築保存している。「仲間部屋(ちゅうげんべや)格子窓」と呼ばれる窓の構造などに、江戸後期の上級藩士の屋敷の特徴を見て取れる。
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17位
唐戸洋館めぐり
下関市には、明治から大正にかけて建てられた洋館が多く保存されており、往時の面影を残している。中でも、国道9号線と県道57号線が交差する唐戸地区の唐戸交差点周辺には、国指定重要文化財の「旧下関英国領事館」をはじめ、「旧秋田商会ビル」や「下関南部町郵便局」といった貴重な洋風建築が集まっている。
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18位
下関南部町郵便局
下関市南部町の国道9号線沿いにある歴史的建造物。明治33年(1900)に建てられた洋風建築で、国の有形文化財に登録。下関に現存する中でも最古の洋館で、現役の郵便局舎としては日本で最も古い。建物内には郵便局のほかに「ポストギャラリー レトロ」が併設されており、コンサートや結婚式などにも利用できるほか、カフェレストランで食事もできる。
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19位
旧秋田商会ビル
下関市南部町の国道9号線沿いにある歴史的建造物。海運会社「秋田商会」の社屋として大正4年(1915)に建設された。洋風建築でありながら、内部には書院造も取り入れられ、屋上には茶室と日本庭園も備えるなど、和洋折衷の造りとなっているのが特徴。内部も公開されており、夜間にはライトアップも行われる。
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20位
四階楼
古くから海上交通の要所として栄えた港町・室津にある、明治12年(1879)竣工の洋風木造建築。四階建ての擬洋風木造建築は全国的にも珍しく、県内の洋風建築物の中でも最も古い建物のひとつだ。維新の志士、小方謙九郎を施主として迎賓及び宿泊施設として利用されたという歴史を持つ。外観内装ともに凝った作りになっており、3階の壁には唐獅子牡丹の漆喰彫刻が、4階の天井には鳳凰漆喰彫刻が、窓にはフランスのステンドグラスが施されている。
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21位
旧上関番所
番所とは江戸時代に萩藩が国境または海陸の要衝に設けた見張り所のこと。鬼瓦には萩毛利家家紋がついており、通行人や船舶の取締り、運上銀(税金)の徴収事務などを行っていた施設とされる。寛永9年(1632)、長島の四代に設置されていたが、利便性や朝鮮通信使の寄港などを考慮し、正徳元年(1711)に上関に移築した。番所の遺構をとどめる建造物としては県下で唯一の貴重な存在。平成8年に移築復元され、建築当初の姿によみがえった。
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22位
旧山口藩庁門
元治元年(1864)に萩から山口へ藩庁移転の際に建てられた「山口政事堂」の正門。現在の山口県庁敷地内の一画に、高さ約6.8m・幅約10mの薬医門が立っている。周囲は幕末当時最新の西洋式城郭で固められており、その一部を構成したお堀も現存している。普段は脇門が開けてあるのみだが、歴史イベントなどに合わせて正門が開かれると、正面に鴻ノ峰の勇壮な姿を望むことが可能だ。大正初年(1912)に新しく県庁舎が竣工し正門も東寄りに築造されたが、西口の役割を果たしながら現在も使用されている。
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23位
旧湯川家屋敷
藍場川沿いの上流に位置する武家屋敷。橋を渡った先にある主屋は特に茶室回りの意匠が優れている。川の水を屋敷内に引き入れて流水式の池泉庭園を通った後、建物の下から台所に引き入れて家庭用水として使用しその後再び藍場川に戻す、「ハトバ」と呼ばれる建築システムは必見だ。江戸時代の古地図には「樋番(水門の番人)」と記されていたことから藍場川の水の管理をしていた屋敷と考えられている。
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24位
桂太郎旧宅
明治維新後3度にわたって内閣総理大臣を務めた拓殖大学の創立者・桂太郎の旧宅。萩藩士桂與一右衛門の長男として萩城下平安古に生まれた後、3歳の時にこの地に移り住んだ。現在の旧宅は明治42年(1909)に新築されたもので、派手さを抑えた母屋には藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむための趣向が凝らされている。藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園内には桂太郎公銅像が建っており、縁側に設置された水琴窟の音色を楽しみながら見学することが可能だ。
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25位
吉田松陰幽囚ノ旧宅
安政元年(1854)、アメリカ軍艦による海外渡航に失敗し野山獄に収容された吉田松陰が謹慎生活を送った屋敷。幽囚生活を送っていたのは東側にある3畳半の一室。そこで読書と著述に専念し、孟子や武教全書などを講じ、やがて多くの若者が参加するようになった。この私塾が後の松下村塾へ繋がり、明治維新を打ち立てることになる多数の門下生を輩出する。平成27年、松下村塾とともに世界遺産に登録された。
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26位
玉木文之進旧宅
松下村塾の創立者であり吉田松陰の叔父としてもその名を知られる玉木文之進の旧宅。松下村塾発祥の地ともいわれている。木造茅葺き平屋建ての建物に、8畳の座敷のほか4畳の畳部屋と3畳半の玄関、4畳半の板間と土間の台所がある。松下村塾で多くの子弟を教育した玉木文之進は、吉田松陰が10歳で藩校明倫館の助教授となったときの後見人。謹厳で剛直な性格による厳しい教育は、松陰の母親に「いっそ死んだほうがこの子も楽であろう」とまで言われるほど徹底的な厳格主義だったとされる。
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27位
青木周弼旧宅
幕末の日本を代表する蘭方医であり藩医であった青木周弼の邸宅で、萩城下町・江戸屋横町にある。全国から教えを乞おうとする門下生が続々と集まったため、それに対応するべく安政6年(1859)に新築された。侍医らしいこだわりや趣が感じられる建物は、ほぼ当時のままに残されている。
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28位
旧田中別邸
第26代内閣総理大臣をつとめた田中義一の別邸。入母屋造りの屋敷は22の部屋からなる巨大な邸宅だ。屋敷の主屋は江戸時代末期に、土蔵や表門は明治初期に建てられたとされ、いずれも重要伝統的建造物群保存地区における伝統的建造物に認定されている。邸内には田中義一の肖像画や陸軍大将時代に身につけた正装などが展示されており、氏の功績や歴史について学ぶことが可能だ。隣には、夏みかんなどの柑橘類が植栽されている「かんきつ公園」がある。
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29位
旧益田家物見矢倉
藩政時代、城下から堀内地区に入るために設けられた「北総門」の見張りを兼ねた物見矢倉。高さ1.8mの石塁の上に堅固な単層の建物が立っている。人の出入りを見張る隠密対策としての機能を果たしていた物見矢倉は、毛利氏に髄属した益田氏屋敷の一部。益田氏は関ヶ原の戦いに敗れた後に家康から徳川家の家臣になることを勧められるが、第20代当主・益田元祥はこれを固く拒否。その話を聞いて大いに感激した毛利輝元は永代家老として益田氏を優遇したというエピソードが残っている。
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30位
口羽家住宅
江戸時代の面影を残す、長州藩の上級武家屋敷「口羽家住宅」。表門と主屋の2棟からなる建物は、全国でも数少ない貴重な武家屋敷の一例として、国の重要文化財に指定されている。
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8位
重要文化財 菊屋家住宅
江戸時代の豪商「菊屋家」が建てた家は、全国で最も古い町家として極めて高い価値をもつ。世界遺産の構成資産のエリアにあり、国の重要文化財に指定されている商家で、当時の豪商の暮らしに触れてみよう。
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9位
花江茶亭
指月公園内にある趣のある茶室。もとは三の丸にあった13代藩主毛利敬親の別邸・花江御殿の茶室「自在庵」を明治22年(1889)頃に移築したもので、茶を点てながら藩主と家臣たちによる話し合いなども行われていたという。萩市の有形文化財に指定。※しばらくの間、公開を休止いたします。
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10位
伊藤博文旧宅・別邸
長州が生んだ初代内閣総理大臣・伊藤博文。伊藤の旧宅の隣に立つ別邸は、もとは東京に建てられたもので、そのうち往時の面影を残す部分が移築された。素朴ながらも意匠に優れ、見どころにあふれている。
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11位
松下村塾
幕末から明治の時代、松本村(現在の萩市)に地域社会の人材育成の場として開かれた私塾。長州藩の兵学者だった吉田松陰が教育を行ったことで有名だ。指導を受けた者から新しい日本を支える逸材を多数輩出。明治維新からの日本の近代化は、この場所から始まっているのだ。
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12位
木戸孝允旧宅
幕末から明治にかけて、薩摩藩と手を組んで江戸幕府を倒し、近代国家の礎を築いた木戸孝允。大久保利通、西郷隆盛と並び、「維新の三傑」と称された木戸が生まれ、江戸に出るまでの20年間を見届けた生家である。
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13位
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
毛利元就の五男・元秋を祖とする厚狭毛利家の屋敷である。現在は安政3年(1856)に建てられた入母屋造り本瓦葺きの長屋のみが残っており、国の重要文化財に指定されている。萩に現存する武家屋敷の中でも最大規模の広さを誇り、梁間は5m、桁行は51.5m。萩城の模型などもあり、見ごたえがある。
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14位
重要文化財旧下関英国領事館
1901年(明治34)に開設された旧下関英国領事館は、赤レンガ造りの建物で、領事の執務室や住居などに使用された。1906年(明治39)に新築移転し、1940年(昭和15)まで機能していた。設計者は英国工務局上海事務所技師長のウィリアム・コーワンと推定される。1987年(昭和62)に市の有形文化財、1999年(平成11)には国の重要文化財に指定された。現在は展示室や喫茶・パブ、ギャラリーとして利用されている。
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15位
古江小路
下関市長府古江小路町にある通り。武家屋敷の土塀や道の作りなど、城下町として栄えた時代の面影が残る通りとなっている。長府藩の藩医などを務めた菅家の屋敷の門「菅家長屋門」は市の有形文化財に指定されている。
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16位
長府藩侍屋敷長屋
下関市長府侍町1丁目にある歴史的建造物。長府藩御馬廻役の屋敷の本門に併設されていた長屋を移築保存している。「仲間部屋(ちゅうげんべや)格子窓」と呼ばれる窓の構造などに、江戸後期の上級藩士の屋敷の特徴を見て取れる。
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17位
唐戸洋館めぐり
下関市には、明治から大正にかけて建てられた洋館が多く保存されており、往時の面影を残している。中でも、国道9号線と県道57号線が交差する唐戸地区の唐戸交差点周辺には、国指定重要文化財の「旧下関英国領事館」をはじめ、「旧秋田商会ビル」や「下関南部町郵便局」といった貴重な洋風建築が集まっている。
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18位
下関南部町郵便局
下関市南部町の国道9号線沿いにある歴史的建造物。明治33年(1900)に建てられた洋風建築で、国の有形文化財に登録。下関に現存する中でも最古の洋館で、現役の郵便局舎としては日本で最も古い。建物内には郵便局のほかに「ポストギャラリー レトロ」が併設されており、コンサートや結婚式などにも利用できるほか、カフェレストランで食事もできる。
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19位
旧秋田商会ビル
下関市南部町の国道9号線沿いにある歴史的建造物。海運会社「秋田商会」の社屋として大正4年(1915)に建設された。洋風建築でありながら、内部には書院造も取り入れられ、屋上には茶室と日本庭園も備えるなど、和洋折衷の造りとなっているのが特徴。内部も公開されており、夜間にはライトアップも行われる。
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20位
四階楼
古くから海上交通の要所として栄えた港町・室津にある、明治12年(1879)竣工の洋風木造建築。四階建ての擬洋風木造建築は全国的にも珍しく、県内の洋風建築物の中でも最も古い建物のひとつだ。維新の志士、小方謙九郎を施主として迎賓及び宿泊施設として利用されたという歴史を持つ。外観内装ともに凝った作りになっており、3階の壁には唐獅子牡丹の漆喰彫刻が、4階の天井には鳳凰漆喰彫刻が、窓にはフランスのステンドグラスが施されている。
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21位
旧上関番所
番所とは江戸時代に萩藩が国境または海陸の要衝に設けた見張り所のこと。鬼瓦には萩毛利家家紋がついており、通行人や船舶の取締り、運上銀(税金)の徴収事務などを行っていた施設とされる。寛永9年(1632)、長島の四代に設置されていたが、利便性や朝鮮通信使の寄港などを考慮し、正徳元年(1711)に上関に移築した。番所の遺構をとどめる建造物としては県下で唯一の貴重な存在。平成8年に移築復元され、建築当初の姿によみがえった。
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22位
旧山口藩庁門
元治元年(1864)に萩から山口へ藩庁移転の際に建てられた「山口政事堂」の正門。現在の山口県庁敷地内の一画に、高さ約6.8m・幅約10mの薬医門が立っている。周囲は幕末当時最新の西洋式城郭で固められており、その一部を構成したお堀も現存している。普段は脇門が開けてあるのみだが、歴史イベントなどに合わせて正門が開かれると、正面に鴻ノ峰の勇壮な姿を望むことが可能だ。大正初年(1912)に新しく県庁舎が竣工し正門も東寄りに築造されたが、西口の役割を果たしながら現在も使用されている。
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23位
旧湯川家屋敷
藍場川沿いの上流に位置する武家屋敷。橋を渡った先にある主屋は特に茶室回りの意匠が優れている。川の水を屋敷内に引き入れて流水式の池泉庭園を通った後、建物の下から台所に引き入れて家庭用水として使用しその後再び藍場川に戻す、「ハトバ」と呼ばれる建築システムは必見だ。江戸時代の古地図には「樋番(水門の番人)」と記されていたことから藍場川の水の管理をしていた屋敷と考えられている。
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24位
桂太郎旧宅
明治維新後3度にわたって内閣総理大臣を務めた拓殖大学の創立者・桂太郎の旧宅。萩藩士桂與一右衛門の長男として萩城下平安古に生まれた後、3歳の時にこの地に移り住んだ。現在の旧宅は明治42年(1909)に新築されたもので、派手さを抑えた母屋には藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむための趣向が凝らされている。藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園内には桂太郎公銅像が建っており、縁側に設置された水琴窟の音色を楽しみながら見学することが可能だ。
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25位
吉田松陰幽囚ノ旧宅
安政元年(1854)、アメリカ軍艦による海外渡航に失敗し野山獄に収容された吉田松陰が謹慎生活を送った屋敷。幽囚生活を送っていたのは東側にある3畳半の一室。そこで読書と著述に専念し、孟子や武教全書などを講じ、やがて多くの若者が参加するようになった。この私塾が後の松下村塾へ繋がり、明治維新を打ち立てることになる多数の門下生を輩出する。平成27年、松下村塾とともに世界遺産に登録された。
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26位
玉木文之進旧宅
松下村塾の創立者であり吉田松陰の叔父としてもその名を知られる玉木文之進の旧宅。松下村塾発祥の地ともいわれている。木造茅葺き平屋建ての建物に、8畳の座敷のほか4畳の畳部屋と3畳半の玄関、4畳半の板間と土間の台所がある。松下村塾で多くの子弟を教育した玉木文之進は、吉田松陰が10歳で藩校明倫館の助教授となったときの後見人。謹厳で剛直な性格による厳しい教育は、松陰の母親に「いっそ死んだほうがこの子も楽であろう」とまで言われるほど徹底的な厳格主義だったとされる。
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27位
青木周弼旧宅
幕末の日本を代表する蘭方医であり藩医であった青木周弼の邸宅で、萩城下町・江戸屋横町にある。全国から教えを乞おうとする門下生が続々と集まったため、それに対応するべく安政6年(1859)に新築された。侍医らしいこだわりや趣が感じられる建物は、ほぼ当時のままに残されている。
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28位
旧田中別邸
第26代内閣総理大臣をつとめた田中義一の別邸。入母屋造りの屋敷は22の部屋からなる巨大な邸宅だ。屋敷の主屋は江戸時代末期に、土蔵や表門は明治初期に建てられたとされ、いずれも重要伝統的建造物群保存地区における伝統的建造物に認定されている。邸内には田中義一の肖像画や陸軍大将時代に身につけた正装などが展示されており、氏の功績や歴史について学ぶことが可能だ。隣には、夏みかんなどの柑橘類が植栽されている「かんきつ公園」がある。
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29位
旧益田家物見矢倉
藩政時代、城下から堀内地区に入るために設けられた「北総門」の見張りを兼ねた物見矢倉。高さ1.8mの石塁の上に堅固な単層の建物が立っている。人の出入りを見張る隠密対策としての機能を果たしていた物見矢倉は、毛利氏に髄属した益田氏屋敷の一部。益田氏は関ヶ原の戦いに敗れた後に家康から徳川家の家臣になることを勧められるが、第20代当主・益田元祥はこれを固く拒否。その話を聞いて大いに感激した毛利輝元は永代家老として益田氏を優遇したというエピソードが残っている。
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30位
口羽家住宅
江戸時代の面影を残す、長州藩の上級武家屋敷「口羽家住宅」。表門と主屋の2棟からなる建物は、全国でも数少ない貴重な武家屋敷の一例として、国の重要文化財に指定されている。
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