その他の史跡/建造物・四国ランキングRANKING
-
1位
高燈籠
国の重要有形民俗文化財に指定されている「高灯篭」は、慶応元年(1865)に完成した、高さ27mの日本一高い灯籠だ。高い石の基壇の上に木製の灯台が築かれており、内部は3階建てになっている。壁に江戸時代の人々の落書きが今も残されている。
-
2位
旧善通寺偕行社
重要文化財でありながら、コンサートやウエディングなど広く一般に利用されている偕行社。建物は自由に見学できるので、明治時代の洋風建築特有のレトロな空間をゆっくりと楽しもう。併設のカフェでランチやドリンクを楽しむのもおすすめ。
-
3位
為松公園(中村城跡)
四万十市立郷土資料館の近くにある市民公園。応仁の乱の際に為松氏によって築城された「中村城(別名、為松城)」の跡地を整地した公園。碁盤の目状に広がる小京都中村の街を一望できる高台にあり、桜の名所として知られる。園内には約500本のソメイヨシノが植栽され、例年3月下旬から4月上旬のシーズンには満開の桜と、「四万十川花絵巻 桜の巻」の期間中には、夜間にボンボリが点灯し幻想的な夜桜を楽しむことができる。
-
4位
川之江城
川之江町の鷲尾山(城山)にある城。もともとは「仏殿城」と呼ばれる仏閣だった城だ。昭和の時代には本丸付近の石垣にわずかな名残りが残るのみだったが、「川之江市制施行30周年記念事業」により本丸跡地に天守、涼櫓、櫓門、隅櫓、控塀が建築され、現在の姿となった。天守閣から瀬戸内海の島々を一望することが可能だ。戦国時代の鎧兜などが展示される山城は桜の名所としても知られ、春の「桜まつり」には多くの観桜客で賑わう。
-
5位
落合集落
標高差390mの急斜面に江戸中期から昭和初期にかけて作られた約70軒の民家が建つ山村集落。平成17年(2005)に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。祖谷地方には古くから平家落人伝説も多く残る。
-
6位
小便小僧
かつて地元の子供達や旅人が度胸試しをしたという逸話をもとに作られた小便小僧。祖谷川沿いの断崖にある岩の上にあり、谷底までは200mもある。祖谷街道の一番の難所とされる七曲りにあり、昭和43年(1968)に徳島県の彫刻家、河崎良行氏が制作した。
-
7位
坂本龍馬像
高知市浦戸の「桂浜公園」内に建つ坂本龍馬の銅像。地元の有志の募金活動によって建設資金を集め昭和3年(1928)に完成。高さは台座を含めて約13.5mで、和服にブーツ姿の坂本龍馬が桂浜の高台から太平洋を見つめている。春と秋には、像の横に同じ高さの特設展望台を設置する「龍馬に大接近」が開催される。
-
8位
宇和島市 吉田ふれあい国安の郷
藩政時代の吉田の家並みを楽しみながら、当時の暮らしを学ぶことが出来る資料館。敷地内には、伊予吉田藩の御用商人・三引高月甚十郎の商家「法花津屋」をはじめ、地域に残る武家屋敷などの建物が移築復元され、当時の町並みが再現されている。
-
9位
仙遊寺 弘法大師御加持水
今治市玉川町別所甲にある井戸。四国八十八ヶ所霊場の第58番札所・仙遊寺の境内に位置する。四国霊場開創の際に寺を訪れた弘法大師が病苦にさいなまれる人々を救うために掘ったという言い伝えが残っている。
-
10位
ロシア兵墓地
松山市御幸1丁目にある墓地。日露戦争時に捕虜となり、松山で生涯を終えた97名のロシア帝国兵士が埋葬されている。松山には明治37年(1904)に全国ではじめて捕虜収容所が設置され、延べ6,000人の捕虜が収容されたと言われている。3月下旬には慰霊祭も開催。
-
11位
日露戦役表忠碑(厳島神社)
愛媛県松山市・三津厳島神社内にある庵治石の石碑で、「表忠碑」の文字と、日露戦争の際に三津から出兵した人の名前が刻まれている。揮毫は近代騎兵制度創設の功労者として知られる陸軍大将・秋山好古氏によるものであると伝えられている。
-
12位
秋山好古書碑(道後公園 湯築城跡)
松山市道後公園の国指定史跡「道後公園湯築城跡」内にある石碑。昭和天皇の即位式を記念して建立されたもので、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公のひとりで日露戦争で活躍した秋山好古により揮毫された。同園内には秋山好古の銅像も建てられている。
-
13位
伊佐庭如矢の像
松山市道後湯之町の公衆浴場「道後温泉本館」近くにある像。明治時代、老朽化していた道後温泉本館を多額の費用を投じて改築した道後湯之町初代町長・伊佐庭如矢の姿をかたどっている。当時は激しい反対運動も起こった改築事業であったが、道後温泉本館は現在まで温泉街のシンボルとなっている。
-
14位
坊っちゃんの間(道後温泉本館)
公衆浴場「道後温泉本館」内にある部屋。3階の個室の一つで、道後温泉本館改築後の明治28年(1895)に松山に赴任した夏目漱石が、正岡子規と利用したといわれる。漱石の写真や胸像などが飾られており、来館者は自由に室内を見学できる。
-
15位
又新殿(道後温泉本館)
公衆浴場「道後温泉本館」内にある浴室の一つ。明治32年(1899)に皇室専用の浴室として建築された。「前室」、「御居間」、「玉座の間」と、警護役のための「武者隠しの間」からなり、細部まで趣向を凝らした豪華な内装を見学できる。
-
16位
秋山好古・真之兄弟銅像
松山市梅津寺町の梅津寺駅近くにある像。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公としても知られ、共に軍人として活躍した秋山好古・真之の兄弟をかたどったもので、小高い丘の上から瀬戸内海を望んでいる。
-
17位
末光家住宅
明和7年(1770)に建設された屋根に対して直角方向に出入り口を設ける「平入り」の建物で、歴史的建造物。酒造業や醤油製造業を営んだ末光家の住宅兼用商家として使われてきた。市の有形文化財に指定されており、現在は毎月第1日曜日に一般公開されている。
-
18位
マイントピア別子東平ゾーン(東平歴史資料館)
東洋のマチュピチュとも称される、標高750mの山中にある東平。大正5年(1916)-昭和5年(1930)まで別子鉱山の採鉱本部が置かれていたため、社宅や小学校、娯楽場や接待館などが建てられ、一つの町ができ上がっていた。現在も赤レンガの巨大な建物が残っており、東平歴史資料館では往時の生活文化や別子銅山についての展示が行われている。
-
19位
讃州井筒屋敷
江戸時代から醤油と酒の醸造で栄えた佐野家の邸宅をリニューアルし、母屋の見学などができるよう整備された観光施設。見学以外にも、土産物の購入や地元の特産品にちなんだ体験なども可能。
-
20位
段の塚穴
徳島県内で初めて国の史跡に指定された「段の塚穴」は、約1400年前の古墳時代後期に築造された2基の古墳である。東の「太鼓塚古墳」、西の「棚塚古墳」はどちらも横穴式石室を持ち、特異なドーム状の玄室が特徴である。同じ形式の石室を持つ古墳が旧美馬郡に集中していることから、同族集団が居住していたと推定されている。四国最大級の石室を持つ太鼓塚古墳からは鉄製品や硬質土器が出土し、美馬市立郷土博物館で保管されている。
-
21位
引田の町並み
城山のふもとにある引田港は、風待ち・潮待ちの良港として商船が多く立ち寄り、旅館や飲食店が立ち並び、醤油や酒の製造が発展した。現在も江戸時代の建物が多く残る引田の町では、歴史を感じる町歩きが楽しめる。町歩きの中心は、江戸時代の豪商・佐野家の邸宅を保存・公開している観光施設「讃州井筒屋敷」である。
-
22位
維新の道
1853年(嘉永6)のペリー来航後、土佐藩では尊王攘夷派の下士と公武合体派の上士が対立。下士の弾圧により脱藩者が増えた。脱藩は命がけだが、龍馬は明確な目的と計画を持って脱藩を決意。当時の混乱した世情と政治的利用のため、脱藩者は黙認されていた。龍馬は脱藩者で組織した軍隊を持つ長州藩を目指したという。
-
23位
阿波水軍遺跡
阿南市の椿泊町は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した森氏率いる「阿波水軍」の本拠地であった。徳島藩から3,000石を給されていた森氏は小大名に匹敵する規模の居城「松鶴城」を同地に築城。大阪の陣や朝鮮出兵に参加し、戦功を上げた。現在では、椿泊小学校横に建てられた「松鶴城趾」の碑や、石垣跡、曲がりくねった道路の作りなどに往時の名残りを見て取れる。
-
24位
織本屋
江戸時代の建築様式『うだつ』を現代に伝える歴史的建造物で、国の登録文化財に指定されている。『うだつ』は建物の両側を卯の字形に張り出した小屋根付きの袖壁で、元々は火事が起きた際の周辺への延焼を防ぐための設備だったが、『うだつ』を取り付けるには膨大な費用が必要だったため、富の象徴として扱われるようになった。
-
25位
倉の館 三角邸
洋風の三角塔屋が目印の屋敷。昭和初期に地元の肥料商だった堺芳太郎氏の別邸として建てられた。書院造りの様式を取り入れた和風の建物の隣に、ステンドグラスがはめられた洋館が作られているのが特徴。近代和風建築として貴重な存在であることから、大門や外塀と共に国の登録有形文化財に指定されている。
-
26位
興昌寺 一夜庵
日本最古の俳跡と言われる庵。俳諧の祖・山崎宗鑑が興昌寺の境内に結んだのが始まりと言われている。享禄元年(1528)の建立から4回ほど修復されているが、ほぼ当初と変わらない原形をとどめているのが特徴。屋根の一部には宗鑑の生誕地・琵琶湖の葦が使用されている。「一夜庵」という名は「上は立ち 中は日ぐらし 下は夜まで 一夜泊まりは下々の下の客」という句の通り、宗鑑が来客の一夜以上の滞在を好まなかったという逸話に由来している。
-
27位
太助灯籠(江戸講中灯籠)
かつて「金毘羅詣」の上陸港として賑わった丸亀港のシンボル。天保9年(1838)に江戸在住の人々が浄財を出し合って完成したもので、最高額を寄付した「塩原太助」の名にちなんで「太助灯籠」と呼ばれている。当時は近くにもう二基の灯籠が立っていたが、第二次大戦の折に金属供給により徴収されたため、今はこの江戸講中灯籠一基が残るのみ。かつての参拝客が目印にした灯籠は今も夜になると明かりが灯り、今日も丸亀港を見守っている。
-
28位
モアイ像
別名・鬼ヶ島とも呼ばれる「女木島」の玄関口に建つ巨大なモアイ像。女木港からすぐのところで島を訪れた人々を出迎えている。世界の七不思議に数えられるイースター島のモアイ像を模したこの像は、高松市内の建設重機メーカーが手がけたもの。本場のモアイ像を再建する際に吊り上げのテスト用として作ったもので、修復ののち市に寄贈された。
-
29位
二十四の瞳平和の群像
小豆島の玄関口・土庄港すぐに建つブロンズ像。小豆島出身の作家・壺井栄の不朽の名作である「二十四の瞳」の像が島に到着した人々を出迎えている。高速船ターミナルそばのこの辺りは平成21年(2009)公開の映画「ぼくとママの黄色い自転車」のロケ地になった場所。オリーブの木々に囲まれた小豆島らしいスポットだ。女性教師と12名の生徒をモデルにした像には平和と幸せを求める永遠の願いが込められている。
-
30位
お龍・君枝姉妹像
「琴ヶ浜 松原野外劇場入口」の看板から300mほど進んだ先にあるブロンズ像。眼前に黒潮の太平洋、背後に緑濃い松並木が続く琴ヶ浜に高さ1.7メートルの姉妹像が立っている。平成5年(1993)に除幕したこの像は「姉妹愛と共に龍馬・覚兵衛を記念しよう」という芸西村の思いから建設されたもの。坂本龍馬の妻・お龍とその妹、君枝が眺めるのははるか遠い桂浜の龍馬像だ。この琴ヶ浜には龍馬を失ったお龍が龍馬遺品の短銃で雀を撃って戯れたり、ここを去る際に保存していた龍馬からの手紙を焼き捨てるよう依頼した等のエピソードが残っている。
-
8位
宇和島市 吉田ふれあい国安の郷
藩政時代の吉田の家並みを楽しみながら、当時の暮らしを学ぶことが出来る資料館。敷地内には、伊予吉田藩の御用商人・三引高月甚十郎の商家「法花津屋」をはじめ、地域に残る武家屋敷などの建物が移築復元され、当時の町並みが再現されている。
-
9位
仙遊寺 弘法大師御加持水
今治市玉川町別所甲にある井戸。四国八十八ヶ所霊場の第58番札所・仙遊寺の境内に位置する。四国霊場開創の際に寺を訪れた弘法大師が病苦にさいなまれる人々を救うために掘ったという言い伝えが残っている。
-
10位
ロシア兵墓地
松山市御幸1丁目にある墓地。日露戦争時に捕虜となり、松山で生涯を終えた97名のロシア帝国兵士が埋葬されている。松山には明治37年(1904)に全国ではじめて捕虜収容所が設置され、延べ6,000人の捕虜が収容されたと言われている。3月下旬には慰霊祭も開催。
-
11位
日露戦役表忠碑(厳島神社)
愛媛県松山市・三津厳島神社内にある庵治石の石碑で、「表忠碑」の文字と、日露戦争の際に三津から出兵した人の名前が刻まれている。揮毫は近代騎兵制度創設の功労者として知られる陸軍大将・秋山好古氏によるものであると伝えられている。
-
12位
秋山好古書碑(道後公園 湯築城跡)
松山市道後公園の国指定史跡「道後公園湯築城跡」内にある石碑。昭和天皇の即位式を記念して建立されたもので、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公のひとりで日露戦争で活躍した秋山好古により揮毫された。同園内には秋山好古の銅像も建てられている。
-
13位
伊佐庭如矢の像
松山市道後湯之町の公衆浴場「道後温泉本館」近くにある像。明治時代、老朽化していた道後温泉本館を多額の費用を投じて改築した道後湯之町初代町長・伊佐庭如矢の姿をかたどっている。当時は激しい反対運動も起こった改築事業であったが、道後温泉本館は現在まで温泉街のシンボルとなっている。
-
14位
坊っちゃんの間(道後温泉本館)
公衆浴場「道後温泉本館」内にある部屋。3階の個室の一つで、道後温泉本館改築後の明治28年(1895)に松山に赴任した夏目漱石が、正岡子規と利用したといわれる。漱石の写真や胸像などが飾られており、来館者は自由に室内を見学できる。
-
15位
又新殿(道後温泉本館)
公衆浴場「道後温泉本館」内にある浴室の一つ。明治32年(1899)に皇室専用の浴室として建築された。「前室」、「御居間」、「玉座の間」と、警護役のための「武者隠しの間」からなり、細部まで趣向を凝らした豪華な内装を見学できる。
-
16位
秋山好古・真之兄弟銅像
松山市梅津寺町の梅津寺駅近くにある像。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公としても知られ、共に軍人として活躍した秋山好古・真之の兄弟をかたどったもので、小高い丘の上から瀬戸内海を望んでいる。
-
17位
末光家住宅
明和7年(1770)に建設された屋根に対して直角方向に出入り口を設ける「平入り」の建物で、歴史的建造物。酒造業や醤油製造業を営んだ末光家の住宅兼用商家として使われてきた。市の有形文化財に指定されており、現在は毎月第1日曜日に一般公開されている。
-
18位
マイントピア別子東平ゾーン(東平歴史資料館)
東洋のマチュピチュとも称される、標高750mの山中にある東平。大正5年(1916)-昭和5年(1930)まで別子鉱山の採鉱本部が置かれていたため、社宅や小学校、娯楽場や接待館などが建てられ、一つの町ができ上がっていた。現在も赤レンガの巨大な建物が残っており、東平歴史資料館では往時の生活文化や別子銅山についての展示が行われている。
-
19位
讃州井筒屋敷
江戸時代から醤油と酒の醸造で栄えた佐野家の邸宅をリニューアルし、母屋の見学などができるよう整備された観光施設。見学以外にも、土産物の購入や地元の特産品にちなんだ体験なども可能。
-
20位
段の塚穴
徳島県内で初めて国の史跡に指定された「段の塚穴」は、約1400年前の古墳時代後期に築造された2基の古墳である。東の「太鼓塚古墳」、西の「棚塚古墳」はどちらも横穴式石室を持ち、特異なドーム状の玄室が特徴である。同じ形式の石室を持つ古墳が旧美馬郡に集中していることから、同族集団が居住していたと推定されている。四国最大級の石室を持つ太鼓塚古墳からは鉄製品や硬質土器が出土し、美馬市立郷土博物館で保管されている。
-
21位
引田の町並み
城山のふもとにある引田港は、風待ち・潮待ちの良港として商船が多く立ち寄り、旅館や飲食店が立ち並び、醤油や酒の製造が発展した。現在も江戸時代の建物が多く残る引田の町では、歴史を感じる町歩きが楽しめる。町歩きの中心は、江戸時代の豪商・佐野家の邸宅を保存・公開している観光施設「讃州井筒屋敷」である。
-
22位
維新の道
1853年(嘉永6)のペリー来航後、土佐藩では尊王攘夷派の下士と公武合体派の上士が対立。下士の弾圧により脱藩者が増えた。脱藩は命がけだが、龍馬は明確な目的と計画を持って脱藩を決意。当時の混乱した世情と政治的利用のため、脱藩者は黙認されていた。龍馬は脱藩者で組織した軍隊を持つ長州藩を目指したという。
-
23位
阿波水軍遺跡
阿南市の椿泊町は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した森氏率いる「阿波水軍」の本拠地であった。徳島藩から3,000石を給されていた森氏は小大名に匹敵する規模の居城「松鶴城」を同地に築城。大阪の陣や朝鮮出兵に参加し、戦功を上げた。現在では、椿泊小学校横に建てられた「松鶴城趾」の碑や、石垣跡、曲がりくねった道路の作りなどに往時の名残りを見て取れる。
-
24位
織本屋
江戸時代の建築様式『うだつ』を現代に伝える歴史的建造物で、国の登録文化財に指定されている。『うだつ』は建物の両側を卯の字形に張り出した小屋根付きの袖壁で、元々は火事が起きた際の周辺への延焼を防ぐための設備だったが、『うだつ』を取り付けるには膨大な費用が必要だったため、富の象徴として扱われるようになった。
-
25位
倉の館 三角邸
洋風の三角塔屋が目印の屋敷。昭和初期に地元の肥料商だった堺芳太郎氏の別邸として建てられた。書院造りの様式を取り入れた和風の建物の隣に、ステンドグラスがはめられた洋館が作られているのが特徴。近代和風建築として貴重な存在であることから、大門や外塀と共に国の登録有形文化財に指定されている。
-
26位
興昌寺 一夜庵
日本最古の俳跡と言われる庵。俳諧の祖・山崎宗鑑が興昌寺の境内に結んだのが始まりと言われている。享禄元年(1528)の建立から4回ほど修復されているが、ほぼ当初と変わらない原形をとどめているのが特徴。屋根の一部には宗鑑の生誕地・琵琶湖の葦が使用されている。「一夜庵」という名は「上は立ち 中は日ぐらし 下は夜まで 一夜泊まりは下々の下の客」という句の通り、宗鑑が来客の一夜以上の滞在を好まなかったという逸話に由来している。
-
27位
太助灯籠(江戸講中灯籠)
かつて「金毘羅詣」の上陸港として賑わった丸亀港のシンボル。天保9年(1838)に江戸在住の人々が浄財を出し合って完成したもので、最高額を寄付した「塩原太助」の名にちなんで「太助灯籠」と呼ばれている。当時は近くにもう二基の灯籠が立っていたが、第二次大戦の折に金属供給により徴収されたため、今はこの江戸講中灯籠一基が残るのみ。かつての参拝客が目印にした灯籠は今も夜になると明かりが灯り、今日も丸亀港を見守っている。
-
28位
モアイ像
別名・鬼ヶ島とも呼ばれる「女木島」の玄関口に建つ巨大なモアイ像。女木港からすぐのところで島を訪れた人々を出迎えている。世界の七不思議に数えられるイースター島のモアイ像を模したこの像は、高松市内の建設重機メーカーが手がけたもの。本場のモアイ像を再建する際に吊り上げのテスト用として作ったもので、修復ののち市に寄贈された。
-
29位
二十四の瞳平和の群像
小豆島の玄関口・土庄港すぐに建つブロンズ像。小豆島出身の作家・壺井栄の不朽の名作である「二十四の瞳」の像が島に到着した人々を出迎えている。高速船ターミナルそばのこの辺りは平成21年(2009)公開の映画「ぼくとママの黄色い自転車」のロケ地になった場所。オリーブの木々に囲まれた小豆島らしいスポットだ。女性教師と12名の生徒をモデルにした像には平和と幸せを求める永遠の願いが込められている。
-
30位
お龍・君枝姉妹像
「琴ヶ浜 松原野外劇場入口」の看板から300mほど進んだ先にあるブロンズ像。眼前に黒潮の太平洋、背後に緑濃い松並木が続く琴ヶ浜に高さ1.7メートルの姉妹像が立っている。平成5年(1993)に除幕したこの像は「姉妹愛と共に龍馬・覚兵衛を記念しよう」という芸西村の思いから建設されたもの。坂本龍馬の妻・お龍とその妹、君枝が眺めるのははるか遠い桂浜の龍馬像だ。この琴ヶ浜には龍馬を失ったお龍が龍馬遺品の短銃で雀を撃って戯れたり、ここを去る際に保存していた龍馬からの手紙を焼き捨てるよう依頼した等のエピソードが残っている。
エリアで絞り込む FILTER BY AREA
人気の記事 POPULAR NEWS
-
神戸の人気観光スポットおすすめ30選|外せない定番・名所から穴場まで見どころ満載の観光地を紹介
おでかけ 兵庫 旅行 -
新潟の人気観光スポットおすすめ20選|外せない定番・名所から穴場まで見どころ満載の観光地を紹介
おでかけ 中部 新潟 -
長崎の人気観光スポットおすすめ30選|外せない定番・名所から穴場まで見どころ満載の観光地を紹介
おでかけ 九州 旅行 -
宮崎の人気観光スポットおすすめ20選|外せない定番・名所から穴場まで見どころ満載の観光地を紹介
おでかけ 九州 宮崎 -
滋賀の人気観光スポットおすすめ20選|外せない定番・名所から穴場まで見どころ満載の観光地を紹介
おでかけ 旅行 滋賀 -
鳥取の人気観光スポットおすすめ20選|外せない定番・名所から穴場まで見どころ満載の観光地を紹介
おでかけ 中国 旅行 -
秋田の人気観光スポットおすすめ20選|外せない定番・名所から穴場まで見どころ満載の観光地を紹介
おでかけ 旅行 東北 -
和歌山の人気観光スポットおすすめ20選|外せない定番・名所から穴場まで見どころ満載の観光地を紹介
おでかけ 和歌山 旅行