その他の史跡/建造物・和歌山県ランキングRANKING
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1位
壇上伽藍
「伽藍」とは、僧侶が修行する神聖な寺院空間の総称で、「壇上伽藍」は、弘法大師が高野山開山時に真っ先に造営したとされる、高野山の中心地。お堂や寺院など、20の仏教建造物を紹介する。
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2位
大斎原
熊野本宮大社の行き帰りに、この巨大な鳥居を見つけて立ち寄ったという人も多い。しかし、実は熊野詣において重要なスポットである大斎原。かつて熊野本宮大社があった場所は現在も神聖な地として信仰を集めている。
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3位
燈明崎山見跡
かつて太地古式捕鯨に使われていた総指揮所・山見台の跡地。景観の名所として知られ、太平洋を一望することができる。周辺には遊歩道が整備されており、古式捕鯨支度部屋跡や狼煙場跡、復元された灯台等の他の史跡へと繋がっている。
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4位
滝尻王子
富田川と石船川が合流する地点にあり、ここから先が熊野三山の神域に入るコースとなっている。最高地点の上多和茶屋跡までは約600mの高低差があり、険しい山道。九十九王子の中でも特に格式高い「五体王子」の一つである。
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5位
善名称院(真田庵)
県の北東部に位置する、九度山町(くどやまちょう)。「日本一の兵」と呼ばれた真田幸村が大坂城へ入城するまでの14年間、人生で最も長い歳月を過ごした地である。歴史に思いを馳せながら、幸村たちが過ごした場所を歩いてみよう。
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6位
近露王子
田辺市中辺路町にある神社跡。国史跡「熊野参詣道」の一部であり、熊野古道沿いに祀られた神社「熊野九十九王子」の一つに数えられる。後鳥羽上皇が和歌会を開いた記録が残っており、境内には昭和9年(1934)に建立された王子碑がある。
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7位
牛馬童子像
熊野古道中辺路の箸折峠にひっそりと佇む高さ50センチほどの像。その名の通り、牛と馬にまたがる可愛らしい姿は中辺路のシンボルとなっており、記念撮影スポットとしても人気だ。
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8位
トルコ軍艦遭難慰霊碑
この慰霊碑は明治23年(1890)に発生したエルトゥールル号遭難事件の犠牲者を慰霊する目的で建てられたもの。場所は紀伊半島の南端、紀伊大島の樫野灯台そば。トルコ記念館も併設されており、5年ごとに慰霊祭が行われている。この事件はオスマン帝国(現トルコ)の軍艦エルトゥールル号が樫野崎東方海上で遭難し、500名以上の犠牲者を出した海難事故。この時、大島村(現串本町)の住人達による生存者の救助と介護を行ったことから日土の友好関係を築く礎ともなっている。
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9位
三軒茶屋跡
熊野古道中辺路街道と、高野山と熊野を結ぶ小辺路街道(果無街道)の分岐点に位置する史跡。その名の通り、かつて三軒の茶屋が立っていた場所で、現在は休憩所としても機能しており新しい建屋が鎮座している。直ぐ側には江戸時代の道標の石が立っており、本宮方面から見ると「右かうや十九り半/左きみい寺三十一り半/みち」と当時のまま刻まれている。また、関所があったとも言われており、「九鬼ヶ口関所」の門を模して復元されている。
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10位
伏拝王子跡
熊野古道中辺路の途中にある史跡。発心門王子から水呑王子、伏拝王子と続いており、熊野本宮大社がようやく見える場所だったことから参拝者が伏して拝み、それが地名の由来になったとされる。現在でも本宮大社の跡地である大斎原が見られる。小さな祠が残されているほか、平安の女流歌人である和泉式部を題材とした物語があることからその供養塔も存在。また、すぐ近くにはNHKドラマ「ほんまもん」のロケに使用された民家や茶畑もあり、必見となっている。
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11位
湯峯王子
熊野の神の御子神を祀った九十九王子のひとつで、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部をなす。湯の峰温泉「つぼ湯」から山道を5分ほど登ったところにある。熊野詣による加護と湯の峰温泉の薬効によって重病から快癒したとされる小栗判官伝説にも登場する。
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12位
西行堂と妻娘の墓
西行堂とは平安時代末期の僧である西行法師が雨露を凌いだ仮住まいにその名を留めており、その場所は日本各地に存在する。その中でも和歌山県天野の県道109号線沿いにある西行堂は彼が妻娘と暮らしていた場所と言い伝えられる。現在の建物は昭和61年(1986)に再建されたもの。康治元年頃から西行と妻娘はこの地に庵を作り、妻娘はここで生涯を終えたとされる。堂のすぐ近くには妻娘を祀る塚があり、古くから高野参りの僧や参拝者が妻娘を偲んでここを訪れていたという。
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13位
横笛の恋塚
和歌山天野の里にある横笛を偲んで作られた塚。横笛は平家物語巻十に登場する建礼門院に仕えた女性。平重盛の家来、斎藤時頼の横笛の音色に惹かれて恋仲となったものの身分違いにより破局。時頼は出家して滝口入道と名を変え、横笛も出家した後にこの地で庵を結び、19歳で亡くなるまで生活していたという。塚の隣には石碑があり、そこには横笛が詠んだ歌「やおや君死すれば登る高野山恋も菩提の種とこそなれ」が刻まれる。高野山には亡くなった横笛が鶯となり修行する滝口入道のもとにたどり着いたという伝説が残る。
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14位
貧女の一燈 お照の墓
高野山奥の院にある燈籠堂には千年近くも灯り続ける燈籠があり、これを「貧者の一燈」という。この燈籠はかつて養父母の菩提を弔うため、お照という少女が自分の黒髪を売って献じた燈籠と言われる。かつらぎ町天野の里の一角にそのお照を祀る小さな墓と石碑が残っている。供養塔は天和2年(1682)妙春尼によって建立。貞受5年(1688)には天野の僧侶浄意が女人の苦しみを救うために代受苦の行を十年間勤め、その後に碑が作られたと伝わっている。
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15位
葛城館
JR和歌山線「高野口駅」の駅前に建つ、木造三階建ての旅館建築。かつて高野山への旅人が足を休める旅館だったものが、当時のままに残されている。入母屋造の桟瓦葺で、三階の本屋根に千鳥破風と軒唐破風が付いた重厚さを感じさせる造りとなっている。庇は銅版葺、二階と三階の正面と東面は総ガラス建具となっており、屋根の重厚さと不思議な調和を見せている。玄関にはかつての常連客が残した看板が残され、当時の賑わいを伺うことができる。
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16位
田辺城水門
阪和自動車道「南紀田辺IC」から国道42号経由で約5分。「錦水城(きんすいじょう)」とも言われた田辺城に遺された水門の遺構。田辺城は江戸時代に田辺藩主・安藤直次によって築かれたもので、天守閣などの高層櫓のない平城で、内堀と外堀が掘られていた。水門は会津川河口付近にかかる田辺大橋のたもとにあり、かつては会津川への出入門として利用されていたが、現在では石垣だけが残る。周辺は公園として整備され、市民の憩いの場となっている。
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17位
国指定史跡 広村堤防
国指定史跡となっている防波堤。1854年に発生した安政南海地震の後に地元の名士である濱口梧陵が私財を投じて築造した。長さ約600m、基底の幅約20m、高さ約5mの堤防となっており、海沿いの石堤と合わせて多重防御のシステムが構築されている。築造の際、梧陵は約1572両を投じ56736人もの村人を日払いで雇用することで津波の被害にあった村人の離散を防いだ。稲むらの火の館で申し込むと、耐久社や濱口梧陵銅像とあわせて語り部による案内付きで見学することができる。
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8位
トルコ軍艦遭難慰霊碑
この慰霊碑は明治23年(1890)に発生したエルトゥールル号遭難事件の犠牲者を慰霊する目的で建てられたもの。場所は紀伊半島の南端、紀伊大島の樫野灯台そば。トルコ記念館も併設されており、5年ごとに慰霊祭が行われている。この事件はオスマン帝国(現トルコ)の軍艦エルトゥールル号が樫野崎東方海上で遭難し、500名以上の犠牲者を出した海難事故。この時、大島村(現串本町)の住人達による生存者の救助と介護を行ったことから日土の友好関係を築く礎ともなっている。
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9位
三軒茶屋跡
熊野古道中辺路街道と、高野山と熊野を結ぶ小辺路街道(果無街道)の分岐点に位置する史跡。その名の通り、かつて三軒の茶屋が立っていた場所で、現在は休憩所としても機能しており新しい建屋が鎮座している。直ぐ側には江戸時代の道標の石が立っており、本宮方面から見ると「右かうや十九り半/左きみい寺三十一り半/みち」と当時のまま刻まれている。また、関所があったとも言われており、「九鬼ヶ口関所」の門を模して復元されている。
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10位
伏拝王子跡
熊野古道中辺路の途中にある史跡。発心門王子から水呑王子、伏拝王子と続いており、熊野本宮大社がようやく見える場所だったことから参拝者が伏して拝み、それが地名の由来になったとされる。現在でも本宮大社の跡地である大斎原が見られる。小さな祠が残されているほか、平安の女流歌人である和泉式部を題材とした物語があることからその供養塔も存在。また、すぐ近くにはNHKドラマ「ほんまもん」のロケに使用された民家や茶畑もあり、必見となっている。
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11位
湯峯王子
熊野の神の御子神を祀った九十九王子のひとつで、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部をなす。湯の峰温泉「つぼ湯」から山道を5分ほど登ったところにある。熊野詣による加護と湯の峰温泉の薬効によって重病から快癒したとされる小栗判官伝説にも登場する。
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12位
西行堂と妻娘の墓
西行堂とは平安時代末期の僧である西行法師が雨露を凌いだ仮住まいにその名を留めており、その場所は日本各地に存在する。その中でも和歌山県天野の県道109号線沿いにある西行堂は彼が妻娘と暮らしていた場所と言い伝えられる。現在の建物は昭和61年(1986)に再建されたもの。康治元年頃から西行と妻娘はこの地に庵を作り、妻娘はここで生涯を終えたとされる。堂のすぐ近くには妻娘を祀る塚があり、古くから高野参りの僧や参拝者が妻娘を偲んでここを訪れていたという。
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13位
横笛の恋塚
和歌山天野の里にある横笛を偲んで作られた塚。横笛は平家物語巻十に登場する建礼門院に仕えた女性。平重盛の家来、斎藤時頼の横笛の音色に惹かれて恋仲となったものの身分違いにより破局。時頼は出家して滝口入道と名を変え、横笛も出家した後にこの地で庵を結び、19歳で亡くなるまで生活していたという。塚の隣には石碑があり、そこには横笛が詠んだ歌「やおや君死すれば登る高野山恋も菩提の種とこそなれ」が刻まれる。高野山には亡くなった横笛が鶯となり修行する滝口入道のもとにたどり着いたという伝説が残る。
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14位
貧女の一燈 お照の墓
高野山奥の院にある燈籠堂には千年近くも灯り続ける燈籠があり、これを「貧者の一燈」という。この燈籠はかつて養父母の菩提を弔うため、お照という少女が自分の黒髪を売って献じた燈籠と言われる。かつらぎ町天野の里の一角にそのお照を祀る小さな墓と石碑が残っている。供養塔は天和2年(1682)妙春尼によって建立。貞受5年(1688)には天野の僧侶浄意が女人の苦しみを救うために代受苦の行を十年間勤め、その後に碑が作られたと伝わっている。
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15位
葛城館
JR和歌山線「高野口駅」の駅前に建つ、木造三階建ての旅館建築。かつて高野山への旅人が足を休める旅館だったものが、当時のままに残されている。入母屋造の桟瓦葺で、三階の本屋根に千鳥破風と軒唐破風が付いた重厚さを感じさせる造りとなっている。庇は銅版葺、二階と三階の正面と東面は総ガラス建具となっており、屋根の重厚さと不思議な調和を見せている。玄関にはかつての常連客が残した看板が残され、当時の賑わいを伺うことができる。
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16位
田辺城水門
阪和自動車道「南紀田辺IC」から国道42号経由で約5分。「錦水城(きんすいじょう)」とも言われた田辺城に遺された水門の遺構。田辺城は江戸時代に田辺藩主・安藤直次によって築かれたもので、天守閣などの高層櫓のない平城で、内堀と外堀が掘られていた。水門は会津川河口付近にかかる田辺大橋のたもとにあり、かつては会津川への出入門として利用されていたが、現在では石垣だけが残る。周辺は公園として整備され、市民の憩いの場となっている。
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17位
国指定史跡 広村堤防
国指定史跡となっている防波堤。1854年に発生した安政南海地震の後に地元の名士である濱口梧陵が私財を投じて築造した。長さ約600m、基底の幅約20m、高さ約5mの堤防となっており、海沿いの石堤と合わせて多重防御のシステムが構築されている。築造の際、梧陵は約1572両を投じ56736人もの村人を日払いで雇用することで津波の被害にあった村人の離散を防いだ。稲むらの火の館で申し込むと、耐久社や濱口梧陵銅像とあわせて語り部による案内付きで見学することができる。
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